I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

作詞その1

詞を書きました。継続的に、不定期に書いていくつもりです。日記の代わりのようなものかもしれません。

単独で成立する詩ではなく、あくまで歌と音が乗ることを前提としたものです。文として読むと少し恥ずかしいくらいの「歌詞」。

ぼくは歌うのが好きで、作詞・作曲も好きなんですが、自分で自分の歌を歌うのがあまり楽しくない。人の作った歌を歌いたいし、自分の作ったものを人に歌ってほしい。そんなめんどくさい欲求を持っています。

詞に歌や曲を乗せたいという殊勝な人がいれば是非試していただけるととてもとても嬉しいです。事前の断りは不要ですが、web等で発表する場合は事前にご連絡ください。

→伏見 瞬 sarai.nuh@gmail.com

 

詞に関しては、今の世界がどのようなことになっているかを、短い言葉で直感させるようなものが書ければと思っています。

今回は(僕自身も含めた)ある種の人間の身勝手さと、そうした身勝手さが今この世界で生まれる理由について書いていると思います。ただ、事前にテーマがあったわけではないです。できたものを読んで、自分はそういうことを感じてたんだなと思った次第です。

 

タイトルは「君に触れる前に」です。

 

 

平壌で雪をみている

図書館で月をみている

君という花が散る前に 君のそばにいさせてほしい

そんなひどいことを歌うぼくを ぼくから排除してほしい

 

ビジネスで子供が死に

ぼくは片田舎で老人になる

 

君に触れるその前に 物語がほしいだけ

湿度だけで俺はいいけど 物語がほしいだけ

 

未来があるとぼくらは どうして教えこまれたのか

未来がないとぼくらは 生きていくことができないのか

 

君に触れるその前に 物語がほしいだけ

どうでもいい事柄ばかり 物語がほしいだけ

 

f:id:d_j_salinger:20190324230800j:image

 

東京塩麹 象の鼻ワンマンショーwithAokid

東京塩麹のワンマンライブを横浜の象の鼻テラスまで観に行った。

f:id:d_j_salinger:20190321235506j:image f:id:d_j_salinger:20190321235521j:image

 

ガラス張りで海沿いの道がよく見えるテラスの中、照明が落とされ、8人のメンバーがキメの細かい演奏を始める。

東京塩麹スティーブ・ライヒの音楽を直接の参照元にしていることは以前から知っていたし、今までは常にライヒを意識しながらその音楽を聞いていたけど、今日聴くとそこまでライヒじゃない。反復が少しずつズレるというよりも、ユニゾンパートを交換していくアンサンブルが多用されていて(ギターとトランペットが同じフレーズを弾いた後でベースとキーボードがまた違うフレーズをユニゾンする、みたいな演奏パターンが多い)、プログレやポストロックを思い起こすものがあった。具体的にはクリムゾンとかドンキャバレロあたり。

それと同時に、トランペットとトロンボーンの女性ホーン隊と、ジャンベの立体感のある演奏が前面に出ていたせいか、アフロビートを想起させる演奏でもあった。

演奏能力は高いバンドであるし、難しいアンサンブルも難なくこなしていたが、どこかコンパクトにまとまっている印象も否めなかった。今ポストロックとアフロビートを混ざった精密な音楽を演奏する必然がどこにあるか、いまいち僕にはわからないからだ。時流に乗るとかそういう話ではなく、既存の音楽に収まらない何か、野心や色気と言った言葉で表せられるものが聞き取れなかったし、見当たらなかった。

野心を感じたのはAokidとのコラボレーションで、細かい指示がされている演奏とは対照的なラフなアドリブのダンスによって、その場に立体的なコントラストが生まれていた。演奏の途中、会場の外側でダンスをしているAokidが見え、逆立ちやダッシュを交えた激しいブレイクダンスを遠くから繰り広げる。その距離感から始まり、会場に入ってからは、客席の間をぬって体を素早く動かし、腕を伸ばして観客をダンスに誘い込む。彼は躍動を司る妖精だった。

その躍動に突き動かされるように、アンコール一曲目(リーダー額田くんが20歳の時に作った曲とのこと)では演奏にもダイナミズムがあって、今日一番のハイライトとなった。会場の外との関係も少しずつ有機的なものになっていき、外を歩く人々がこちらを観て楽しそうに笑う姿も、「演奏」の一部になっていた。そう思った瞬間が、今日一番楽しかったかもしれない。

Aokidと東京塩麹の間のコントラストが、東京塩麹のメンバーの間にも生じれば、強烈なグルーヴが立ち現れるのではないか。そんなことを考えてしまう。器用な穏当さよりも、ぶつかり合う律動の荒れ模様を。8人のメンバーのシャツ及びブラウスの色が全員異なっていた(白、黒、茶、青、黄、ピンク、赤、緑)のはおそらく偶然ではないだろう。色彩のコントラストに、音のコントラストを累乗させることができれば、より強い魔力を宿した妖精がその場に召喚され、我々を強烈な陶酔の中に導くのではないだろうか。

f:id:d_j_salinger:20190321235532j:image f:id:d_j_salinger:20190321235550j:image

 

 

 

Plastic Tree 試論 ~浮かぶことについて~

・NOVEMBERSとヴィジュアル系

 

THE NOVEMBERSの新作『ANGELS』が本当に素敵な作品で、僕のツイッターのTLではここ10日くらいずっとNOVEMBERSで盛り上がっています。

ANGELS

ANGELS

 

彼らが作り上げてきたサウンドのロマンスが、インダストリアルとニューエイジを拝借しつつ、リズム意識をどんどん研ぎ澄ませる中でついに時代の先端に触れた。10年以上NOVEMBERSを聴き続けてきた人間としては、嬉しいような悔しいような誇らしいような感慨深さが胸の奥につき刺さるわけです。

今まで彼らの音楽に触れてこなかった人も夢中になっているようで、その中でNOVEMBERSにおけるヴィジュアル系の影響が話題になっていました。

もちろん、L'arc~en~CielやDir~en~greyの音楽に影響を受けていることを本人たちも公言しているし、あながち間違いではない。ただ、NOVEMBERSのヴィジュアル系からの影響はニューウェーブ・ネオサイケに限られると感じています。私見では、ヴィジュアル系の音楽の三大要素は歌謡曲・メタル・ニューウェーブですが、NOVEMBERSに歌謡曲やメタルの要素は少ない(皆無ではないですが)。彼らはニューウェーブが好きで、ヴィジュアル系の一部のバンドもニューウェーブの音楽の一部と捉えているというのが正確なのではないかと思うのです。

 

Plastic TreeとNOVEMBERS

 

そんな中でも、彼らが強く影響を受けているのがPlastic Treeというバンドでしょう。2012年のJapan Jamではボーカルの有村竜太朗とNOVEMBERSが同じステージに立っているし、プラ(Plastic Treeの略称です)のトリビュートアルバムにもNOVEMBERSは参加しています。

 

spice.eplus.jp

 

Plastic TreeThe CureやBauhausやSmashing Pumpkinsを参照としており、間違いなくニューウェーブの後継。彼らのプロフィールについては公式HPやウィキペディアを参照にしていただくとして、ここではPlastic Treeがいかにヴィジュアル系と呼ばれる一連のバンドのなかでいかに「浮いている」かを伝えたい。

これは主観でもなんでもなくただの事実ですが、ヴィジュアル系のバンドの中でPlastic Treeは圧倒的に音が良い。

 

 

 

具体的には低音の出方が強く、ギターの音色の残響処理が気持ちいい。クランチのギターは、細いワイヤーの揺れ方が耳に伝わるかのよう。要するに、ここまでオルタナティブロックのサウンドを持ったバンドはヴィジュアル系にはいなかった。スマパンダイナソー.Jrとタメを張れるバンドは他にはいなかった。むしろ、彼らと近いサウンドを鳴らしていた同時代のバンドはART-SCHOOLeastern youthNumber GirlThe Pillowsあたりだろう。

 

・「普段着」と「ゴス」の間を行く

 

上記に挙げたバンド(や彼らに影響を受けた数多のアマチュアバンド)は「普段着」を美意識として持っていた。それは着飾ったロックバンドを否定して穴の空いたジーンズで現れたNirvanaの美学によって裏付けられていた。

ヴィジュアル系のバンドはその名前が表すように、常に普段着ではない目立つファッションを心がけていた。元はゴスやメタルの美意識から出発していたが、そこにギャル男の意向が加わったり女装や和装のフレーバーを足したりする。

Plastic Treeは「普段着」と「ヴィジュアル系」の間に位置するファッションを身に纏っていた。

 

 

 

 

 

彼らはほとんどノーメイクでTシャツを着ていることもあれば、目の周りを黒く塗って赤いリボンを結んでいることもあった(ちなみに「絶望の丘」のMVはCureのオマージュで、この時の竜太朗はほとんどなりきりロバート・スミスである)。

タンクトップとカーディガンのようなラフなファッションでも、有村竜太朗は前髪の長い髪型やアクセサリーなどでゴシックな美意識を宿らせている。Plastic Treeヴィジュアル系としても収まりが悪く、かといってロッキンオンジャパンに載るような普段着のバンドとは距離を置いた、曖昧な存在感で90年代から現在までを生き抜いてきた。NOVEMBERSのファッションは、Plastic Tree、特に有村竜太朗のゴスとグランジを絶妙に行ったり来たりするスタイルから影響を受けている。そんなことを言っている僕も一時期とても影響を受けていて、竜太朗がモデルを務めていたGadget Growのロングカーディガンと鍵型のアクセサリーを持ってたりした。

 

・「痛み」の海に浮かぶ

 

Plastic Treeの音楽に関して。このバンドの魅力は「浮遊性」にある。

彼らが歌うのは「痛み」であったり、「不安」であったり「空虚」であったりする。先ほど動画を挙げた「プラネタリウム」のコーラスが〈何もない僕は何処へ行けばいいのかな?ずっと渇かない涙がどんどん溢れた〉であることを鑑みれば、「ザザ降り、ザザ鳴り」が〈胸の奥揺れてるの。顔のない夢ばかり見るの。〉という言葉で始まることに気づけば、ネガティブな感情の発露があることはすぐに感知されうる。ところが不思議なことに、有村竜太朗の歌には実存的な切迫感が宿っていない。もっと簡単に言えば、「この人は死んでしまうのではないか?」という不安を聴いていて感じない。どんなに空っぽのフィーリングを上ずった声で歌っても、絶望的な状況をエモーショナルに叫んでも、一歩距離をおいた醒めた視点が常に感じられるのだ。彼は決して「代弁者」にはなり得ない。カート・コバーンリヴァース・クオモ五十嵐隆峯田和伸といった「痛みの代弁者」の列には、決して並ばない。とは言え、青春の苦しさをシニカルに突き放したり、アイロニーで脱臼させたりするような全くの冷淡さを見せるわけでもない。「痛み」の中心に立つわけでもなく、遠くから見渡すわけでもない。Plastic Treeは海の上を漂う漂流物だ。「痛み」の海のなかにいながらも、そこでもがき喚くことはせず、力を抜いて漂っている。彼らは痛みの中で「浮いている」ための術を身につけた生物なのだ。Plastic Treeのファンは「Jellyfish」というファンクラブの名前から、「クラゲ」と呼ばれることがある。透明な浮遊こそがPlastic Treeの生きる術であり、「痛み」も「不安」も「空虚」も彼らの生命を奪うことはない。晴れの日はプカプカプー。Plastic Treeは切実さの中に呑気さを埋め込む力を、汚れの中で透き通る力を持っている。その浮遊性と透過性が、彼らを特別な存在にしている。

 

・ジャギジャギでプカプカでゆらゆら

 

Plastic Treeの最高傑作は『トロイメライ』(2002年)だと思っている(『パレード』『ネガとポジ』も捨てがたいが)。

 

 

 

「理科室」のジャキジャキと鋭く重くカッティングを刻むギターが空間に広がった瞬間の快楽。直線的に刻まれるベースとドラムの無表情さはインダストリアルノイズの趣きを感じさせつつ、学校の理科室を孤独とコミュニケーションの希求のメタファーに見立てる歌はエモの本道を進む。その実、生々しさとロマンチックが争う音の母体は、ゆらゆらと漂う「浮遊」のフィーリングである。トレモロやリヴァーヴのエフェクトがかけられたギターのはぐらかすようなサウンドがどの曲にも必ず加えられていることが、Plasitic Treeというバンドの性格を決定づけている。「グライダー」でも「散リユク僕ラ」でも「ガーベラ」でも、時間を鮮やかに切り刻む鋭いカッティングと、チシャ猫(byアリスインワンダーランド)のようないたずらっぽい表情の揺らめきサウンドが同居している。その二面の間のどちらにも落ち着かないところが彼らの「浮遊」である。〈なんとなく浮かんでるような、そんな気分。まるでグライダー〉である。ヘヴィな現実の上でゆらゆらと、透明に漂うこと。「痛み」の中で、塞ぎ込むでももがくでもなく、否定するわけでも肯定するわけでもなく、ただただ揺蕩いつづける。そんな選択肢があることを、私たちはPlasitic Treeの音楽から学んだのだ。

 

 

f:id:d_j_salinger:20190319000209j:plain

 

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(16:00~17:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

さて、前回は圧迫感が少しずつ穏やかさに変わっていく一分間だった。ここでさらなる変化が起きる。

つまり、無音。

 

 

ここまで音の出入りが激しく、アンビエントと言いつつ実際に耳を集中させるとなかなか落ち着かない音楽だったわけだけど(この曲を聴いて寝るのは厳しい)、少し落ち着いたかと思ったらあっけなく沈黙が訪れた。曲が終わってしまうかのような静寂に包み込まれる。聞こえてくるのは部屋の外の風の音。だが、スピーカーに耳を近づける、あるいは音量を上げていくと、音が鳴っていることがわかる。この音を、細く聴いていきたい。

 

16:00 ここ1、2分のうちで目立っていた、断ち切れながら持続する(光の点滅を想起させる)シンセの音が高音を発している。音程はd,f,aあたりを行き来しているように聞こえる。

16:02 低音のシンセがcの音で。ほぼ同時にgのフィードバック音。

16:10 g音と入れ替わるようにbのフィードバック。

16:17 点滅シンセとフィードバックが鳴る中、低音のシンセがaで。フィードバックがbからeに変化する。フィードバックが広がる中で点滅シンセが聞こえなくなる。

16:25 フィードバックがdに変わる。 

16:29 低音シンセがaからgに。

16:30~39 低音シンセとフィードバックが減算していく。

16:40 訪れる沈黙。

ここでヴォリュームを上げてみる。すると、フィードバック音は16:42まで続いていることがわかる。そのあとで新しい音が入ってくる。

16:43 輪郭のないホワァとした音が聞こえてくる。

16:45 右チャンネルからは細かく振動して途切れる音が鳴っている。蝉の声をとても小さくしたような音。

16:51 小さい音でフィードバックが発生している。耳にキーンと響く類の音で、この曲の冒頭で鳴っていた音と印象が近い。

16:56 左から細かく震える音。こちらは虫の羽音を思わせる。

16:57~17:00 輪郭のない音が少しずつ存在感を増していく。

 

全き無音にも思えた時間は、実際には音が鳴っていて、その中で変化も起きている。ただ、音量を通常の二倍にしないと聞こえないくらいの小さな音だ。ほとんどの人が聞き逃すくらいの小音量でも、音の調整が行われている。その事実は、少し僕を楽しくさせる。1分ずつ細やかに聴くことでしか発見できなかったことだからだ。この後もおそらく沈黙に近い状態が続くので、聴いてくのが楽しみである。

この静寂部分は聞こえる音量で全体も聴いてみたいけど、確実に近所迷惑だな・・・(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

 

 

 

 

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(15:00~16:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

圧迫感のある音が辺りを覆っているが、次第に音が収まり、穏やかさに変わっていく。少しずつフェイドアウトしているようでもあるが、新しい音も時々現れる。だが、全体的に音が増幅されて広がることはなく、徐々に徐々に静けさが増していく印象がやはり強い。

生きていると、感情の強弱や気分の上がり下がりがサイクルになっていることに気づくことがある。嫌なことがあったとかとは関係なく気分が下がったり、逆に問題を抱えている時でも穏やかな気持ちになったりすることもある。圧迫感が穏やかさに少しずつ、確実に変化していく。その様に耳をすませていると、精神のサイクルのことを考えてしまう。自分の精神の内にある、コントロール不可の「自然」が鳴っている。そんな音楽だと感じたりする。

 

15:02 高音のシンセの圧迫が続く中、 低いシンセでgが鳴らされる

15:03~15:06 何度となく繰り返されている鍵盤のアルペジオ

15:07 輪郭のはっきりしないフィードバック音がワウワウ揺れる

15:12 低いシンセ。aの音

15:15 鍵盤でd,fの二音

15:22 フィードバック音が揺れながら大きくなる。gの音

15:26 支配的だった高音のシンセが少しずつ弱まっていく中、低音のシンセがcで入ってくる

15:30 高音シンセが小さくなることでようやく音程が聞き取れる。c,e,bあたりの音。

15:34~39 低音シンセのcとワウを掛けたようなフィードバック音のcが同時に大きくなっていく。この音は非常に細かく現れたり消えたりを繰り返しているんだな。だから音が圧迫感を伴うんだろう。点滅するライトが目に痛いのと多分同じことだと思う。

15:40~46 音が少しずつ小さくなっていく

15:47 低い音のシンセがfで。

15:51 ワウっぽい音がfで現れる

15:57 ヤカンの沸騰音、あるいは高い笛の音のようなフィードバック。dからaに音が上昇する。

 

音が消えそうで消えないギリギリの感じが細く分解していくとよくわかる。消えそうなところで低いシンセが現れ、それが消えるとフィードバック音が登場する。こうしたギリギリの音の連なりはどこまで続くんだろう。根音(ルート)となるであろう低音のシンセがg→a→c→fと変化しているのも気になる。(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(14:00~15:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

音に圧迫される感覚を覚える。全き外部からの圧迫というより、自らの精神の内における圧迫。耳にこびりつくシンセの音は押し寄せる苦悩や想念のようで、その間から流れ込むピアノのアルペジオは記憶の断片のようだ。「意識の流れ」のような音響。決して説明的ではないが、どこか自らの精神運動を記述するような趣きのある時間。

 

14:00 押し寄せる高音シンセの中、ピアノのdの音。つづけてf,e,aとアルペジオが続く。

14:06 シンセは右からも左からも現れる。右からは虫笛のような「シューー」という持続音。

14:12 g,cを交互に繰り返すシンセ。

14:17 高音が飛び交う中、少し低いdのシンセがだんだんと広がっていく。

14:21~24 恒例のc,f,e,aのアルペジオ

14:28~33 左からeの音、右からcの音がそれぞれ中域の管楽器みたいなシンセを伸ばす。真ん中では高い音のシンセがずっと耳を圧迫している。

14:36~45 圧迫感が持続する。音はいくつもあって音程がつかめない。

14:39~40 d,fのピアノ

14:46~51 風が空を切るような音が大きくなってくる。

14:51~52 e,aのピアノ。10秒のインターバルでいつものアルペジオを演奏している

14:52~55 龍笛のような高いaの音。bのもう少しソフトな笛っぽい音も直後に聞こえる

14:55~15:00 アルペジオ。a,g,dの音

 

ピアノや管楽器っぽい音など、曲中何度か聞こえる音が何度か現れたりするものの、やはり耳に着くのは倍音の高いシンセ音だ。「アンニュイなテリーライリー」と言った印象を持つサウンド。やはり、混乱した頭の中を美しくトレースしたもののように思えてくる。(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(13:00~14:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

この一分間は、人工的な電子音が鳴っている印象が強い。ただし、音を聞いて浮かぶのは、人類が誕生する前から地球上に存在した自然物のイメージだ。それは波であり、木々であり、虫であったりする。寄せては返す水の移動や、風に煽られ震える葉の擦れをただずっと眺めているようなそんな気分。大いなる大らかな無駄。無駄に埋もれていたいという気持ちを抱かせるのに十分な「大きさ」が、この音の群れを特徴付ける。その「大きさ」を、小さく小さく聴いていこうと思います。

 

13:00~13:07 高音部が強いシンセの音が二つ。ワウエフェクターをかけたような「ホワ〜」と擬音化したくなる音と、「ピーー」といった趣の冷たく直線的な音。基音はそれぞれeとg。

13:08~15 低音のcのシンセが挿入されて、c,e,gでCメジャーコードが完成。穏やかな印象が強まる。

13:17 直線的なサウンドのシンセがgとdを繰り返す奏でる。

13:20 シンセがgとcの繰り返しになる。途中f#の音も入り込む。

13:23 水を跳ねる鍵盤。右チャンネル寄りにeの音。ほぼ同時にオクターブ低いeのフィードバックが左側から広がる。

13:30~50 直線的なシンセの音が複数重なり、音量も次第に大きくなり存在感を増してゆく。音程が細かる変わるが基音が不安定なため細かく聞き取れない。

13:43 柔らかい鐘の音のような鍵盤。波紋のように広がるのが聞き取れる。 

13:49 小さくf#の鍵盤の音。不協和感が存在を主張している。

13:50~14:00 音の壁がどんどん厚くなるような感覚。高音のシンセの音は複数細かく現れたり消えたりする感じは、星の多い夜空のきらめきを連想させたりする。

 

音の主張は強いのだけど、どこか穏やかで優しいと感じたのは、コード感が単純なメジャーに収まるからかもしれない。ただ、後半にはf#も含まれてちょっとだけ不穏になる。コードの色彩が微妙に変化し続けているのがこの曲の特徴として(少なくとも今のところは)言えると思う。(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain