I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

日記のようなもの 有地慈さんとのトークとROTH BART BARONの新作

日記と批評の間の子みたいなものをちょくちょく書いてみようかと。時間作るのが下手なので多分二週間に一回くらいになりそうですが。

 

11月3日に有地慈個展『スーパー・プライベートⅢー約束された街でー』のトークにお呼ばれして、批評再生塾同期の渋革まろん、太田充胤と一緒に有地さんと喋りました。動画も上がってます。

 

 

 

http://chaosxlounge.com/wp/archives/2383

 

有地さんのテーマを乱暴に要約すると「極めてプライベートなものを提示することによってパブリックに開かれた物語を作る」というもので、タイトルの「スーパー・プライベート」にはそういう意味がある。今回は展示そのものが有地さんの娘さんの誕生日パーティーになっていて、今までにも増してプライベート度が極まっていた。

僕は「プライベート/パブリック」という対立項が実は存在しないんじゃないか、少なくとも「私固有のもの=プライベート/万人共通のもの=パブリック」という意味で捉えるとおかしなことになるんじゃないかということを最近考えるようになっていて、その観点から語ったりしています(動画の21分頃)。あと、後半に「有地さんは震災に対して「加害者」の立場に立っている」という話をしていて、この辺りは面白くなったかなと思ってます(1時間17分頃)。

そのほかにも色々話をしていますが、気になりつつトークの中で言えなかったのは、有地さんが「子どもを作品に使うこと」を倫理的問題として気にしている点についてでした。確かに、「子どもを見世物に使っている」という批判はおおいにあり得るし、有地さん自身が傷つかないためにもそうした批判に予防的に対応する必要はあると思う。しかし、倫理的立場を問われる場に踏み込まずに作品を提示していくことが有地さんの場合はマイナスに働く気もしている。僕が思うに有地さんが撃とうとしているのは「多くの人が共有しているとなんとなく思われている空気」のようなもので、自身のプライベートを作品化することでその空気がまやかしであることを伝える。つまり「母と子の関係ってこんな感じでしょ」という個々人が持つイメージを、身も蓋もなくリアルな母子の姿を提示することで刷新する効果がある。そのリアリティにおいて、プライベートな作品は万人に開かれていると思う。だからこそ、「倫理的にやばいんじゃないか」という空気を察知して人々を安心させる方向に作品が向かうのは本末転倒になってしまう。撃とうとしていた「空気」に逆に呑み込まれてしまう結果になっていくのではないか。トークの中で太田さんが「スーパープライベートⅡはⅢより不安感があって好きだった」という感想を言って、それに対して有地さんは「安心させるものにしたかった」と返している。僕は「安心」に寄っていくよりも、観客のなんとなくの倫理を問いただすような「不安」な作品の方が有地さんのやりたいことに近いと感じているので、このあたりの「安心」や「安全」に傾く感じが気になったのでした。

 

そういえば、11月6日に批評再生塾の平田オリザゲスト回の講義にチューターとして参加したのだけど、その中で「日常こそが見世物小屋」というワードが出てきて、有地さんの作品につながっているなぁと思った。春木晶子さんの批評文(https://school.genron.co.jp/works/critics/2018/students/harukishoko/3506/)に対する僕と春木さんとのやりとりにおいて出てきた言葉で、春木さんは(平田オリザ率いる)青年団の演劇において「見世物小屋として「肉体」が活きている」という話と「日常と地続きの演劇だからこそ(作品のテーマで有る)差別の問題が観客にも迫ってくる」という話をしていた。僕がそこで「「見世物小屋」と「日常と地続き」は矛盾しているのでは?」と聞いた時に

春木さんの答えが「日常こそが見世物小屋です」だった。この言葉の意味よりもまず音で聞いた時の強度に僕は反応したんだけど、「なぜ日常を見世物小屋として感じるのか」って問いは考えていくと面白いところに行き着く気がしている。

 

 

 11月7日にROTH BART BARONの新しいアルバム『HEX』が出て、ロットに関してはただのファンなので「好きだ」としか言いようがないんだけど、今回は過去二作のコンセプチュアルさに比べると軽やかな作品だなという印象がある。そしたら今回はボツ曲が100曲以上あるらしく、実は相当に苦労したアルバムらしい。

 

 

 

楽器数が多いのに音に空白が感じられるのが面白くて、おそらくこれはベースが控えめだからだと思う。曲単位だと一番好きな「VENOM」の中で「天国と地獄を行ったり来たり」というフレーズがあって、つまりここには中間地帯としての地上や煉獄が存在していない。この中間のない感じが音にも表れている。

三船雅也のボーカルはファルセットを駆使した天上の柔らかさで世界の痛みを祝うように歌うところが元々有していた魅力だけど、今作は地声で切迫感を宿らせている印象。とても肉体的。声だけでなく音全般に言えることだけど、今まではマインドに効く音楽をやっていたのが、今回はボディにもぶつかっていく音楽になっている。それがトラップやベースミュージックの最新のポップの流れを掴む方向に向かっていない(そういうバンドがいても全然構わない)ところが、ロットの元々の性質にあっているように思う。

 

 

 

「HEX」は最後のコーラスで中原さんがオープンハイハットを八分で入れてくるあたりがいいですね。「並木」が気になる。