I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

1月2日〜3日

1月2日

ちょっと前に大滝詠一『A LONG VACAITION』のレコードをココ池で購入してそのままにしてたので朝起きて聴いた。

実は最初から最後まで聴いたことなかったかも。

律動操作が良い。聴いていると、楽器音と声の滑らかさと同時に、リズムの(かなり良い意味での)ぎこちなさが感じられる。拍子を見失うような瞬間も何度かあった。おそらく、これは通常のポップソングでは4分か8分で拍を刻むこの多い(故に律動の印となる)ハイハットの音量が小さいことにまず起因する。さらに、キック・タム・スネアの音がそれぞれ似通っていて差別化ができない、しかもキックが16分の裏から入る曲(4曲目、pap-pi-doo-bi-doo-ba物語)があったりする。コードチェンジも裏拍で行われたりする。これでかなりの混乱が発生する。有名な「君は天然色」も、三連符が16分音符と8分音符で重なっていて、それがズレを生み出していてスリリング。

 

3曲目の「カナリア諸島にて」のコードとメロディを分析してみたら、裏コードの使用があったり、続け様の転調があったりとひねりをきかせてる。その中で、ボーカルメロディはルートに対して3度、コードに対して7度の感情的かつ緊張感のある音を強調したり、サビの「カーナーリアンッアーイランッ」のメロディの繰り返しにコードが変化していたりと、メロディを印象づける工夫がある。キャッチーさと噛み応えのバランスが秀逸。

 

音色(曲も)はビーチボーイズフィル・スペクターを意識していると思うのだけど、考えたらエンヤもジーザス・アンド・メリーチェインも彼らを意識した音作りをしている。日本ではAOR/シティポップに、アイルランドではニューエイジに、スコットランドではノイズ・ポップにそれぞれ翻案されている。ビーチボーイズフィル・スペクターの影響力すごい。殺人者だったり、マンソンファミリーとつながってたりするけど・・・。

 

それにしても、曲調の爽やかさに対して、松本隆の詞がとにかく陰鬱なことに驚いた。ほとんどが別れ、孤独、あるいはフラれることをモチーフにしている。恋愛のうまくいく詞も一つだけあるけれど、あれは妄想の歌だろう。バケーションなのに、後悔に苛まれてる。これはかなり変だ。

ただ、どこか詞はうまく機能していないようにも思える。誰かに届けてるというより、独り相撲をしている。その空回りが意識されていない歌詞のように感じられる。あまり上手くない。ボーカルメロディの反復も字余りで崩しているし。

 

松本隆の詞が改めて気になって、いくつかの曲を聴いてみた。

小泉今日子「魔女」薬師丸ひろ子探偵物語」安田成美「風の谷のナウシカイモ欽トリオハイスクールララバイ近藤真彦ハイティーン・ブギ(のPUFFYのカバー)」など。いいのもあれば良くないのもあるなという普通の感想。キョンキョンと薬師丸はいい印象だけど、彼女たちの声が良いからかもしれない。「魔女」は中島みゆき「悪女」に世界観が似ている?

 

実家に帰って、なぜかマリオワールド版モノポリーを家族でプレイ。モノポリーは資本主義ゲーム(の中の不動産ビジネス)のアナロジーとして秀逸だと以前から思っていたけど、資本主義をやめられない理由がなんかわかった。楽しいからだ。運と努力で「所有」を達成し、それによって相手から金を得る。中毒になるし、しかも貧乏から身を救ってくれる。そりゃ誰もやめれるはずがない。資本主義を終わらす、あるいは方向を変えるには、その悪を糾弾するのではなく、別の面白いゲームを開発して広める方が良いのではないか。

 

1月3日

朝にラップソングを何曲か聴く。

Jack Harlow/Way Out(feat Big Sean)

スパニッシュギターっぽい哀愁のリフレインが印象に残る。2周目のBig Seanのラップのリズム解釈が気持ちいい。三連と十六分の混ざり方とか。

調べてみたら、Jack Harlowは白人ラッパーなのか。ケンタッキー州ルイヴィル出身というのも珍しいのではないか。My Morning Jacketと同郷ですね。

CJ/Whoopty

女性ボイスのサンプリングがいい。こちらもマイナー調。なんとなく『ブルータル・ジャスティス』を想起させるものがある。トラップの中ではベースの音階がはっきりしている。

昨年の7月30日に出て、ビルボードチャットの51位まで上がった曲。

 

村上隆の下の動画が結構面白くて、STARS展に滑り込みで行ってきた。

 

www.youtube.com

 

6人の作家の展示だけではなく、今まで書かれてきた批評、今まで海外で行われた日本をテーマにした展示の紹介も行われており、なかなかに興味深い。

村上はやはりコンセプトへの意識が強く、批評を「書かせてる」感じがある。

村上の新作、福島原発へ行く新作動画(映像、歌、語りで構成されてる作品)はなかなか良い。アイロニーとエモーショナルが同時に発生していて、強度がある。

奈良美智の部屋に入るとき、男の子が「この部屋は面白い」と言ってて、子供に通じる力はすごいなと思う。

 

MOMコレクションとして展示されていた二つの作品、サムソン・ヤン『音を消したチャイコフスキー交響曲第5番』とシオン『審判の日』が良かった。

前者は演奏者全員が音をミュートしたままシンフォニーを奏でる映像作品で、動作に対する音の少なさが笑いを誘う。弦の軋みや人の息の音だけが聞こえていて、それがまるで波の音のようにも聞こえるところがいい。撮り方・編集も上手い。ジョン・ケージに代表される音と沈黙の間の文脈、意図から外れた音のノイズ/アンビエント性、音楽に対する視覚性の重要性、などあらゆるテーマと結びつけて考えられる。ラグナル・キャルタンソンの作品とも近いものを感じた。

後者はポルタンスキーの展示にも似た、古着と人形を使ったインスタレーション。イエスの死を扱ったキリスト教の主題に沿っている。これはポーランドキリスト教文化、古着に現れる資本主義のアウラなどを組み合わせてコンセプト化している。ポルタンスキーの作品は死の個別性を排除して一般的な「死」に還元しているという批判があり、ぼくもそれには同意するのだが、シオン(韓国の作家ということだ)の作品には文脈と血が通っている。だから良いと思える。ちょっとエヴァっぽくもあった。あと津波の表象もあり、日本で展示する必然を感じさせる。

サムソン・ヤン『音を消したチャイコフスキー交響曲第5番

新文芸坐で『椿三十郎』(黒澤の中ではベストに面白かった)を観た後に、egg東京のスクランブルエッグとハッシュドポテトを食べる。ハッシュドポテトがめちゃ上手い。濃いめのコーヒーとよく合う。男性の店員さんがなかなかに親切だった。