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早稲田松竹「はじめての映画たち~映画作家の初期作品集~」で学生たちの映画を観ました

昨日早稲田松竹で、早稲田大学【映像制作実習】で制作された2作品と黒澤清ドレミファ娘の血は騒ぐ』を観ました。

今週の早稲田松竹は「はじめての映画たち」ということで是枝裕和塚本晋也など日本映画のトップランナーの処女作を上映しているんですが、その中の特別企画として現役の早大学生の作品二本と『ドレミファ娘の血が騒ぐ』の三本立てが昨日から明日まで上映されています。恥ずかしながら黒澤清の映画を一本も観たことがなかったのでちょうどいいと思って高田馬場へ。

 

今週の上映作品 | 2017/3/4〜3/10 | 『萌の朱雀』/『幻の光』/『鉄男』/『その男、凶暴につき』 | 早稲田松竹

 

自分が座った席の後ろには早稲田の学生と思わししき四人組が座り、なかなか楽しい話を聞かせてくれます。「『菊次郎の夏』は最高、他の武映画観たことないけど」とか「いいレビュー書いてるんだから隠さないでいいじゃん」みたいな会話。無言で待つ早稲田松竹に慣れているのでちょっと新鮮でした。

 

学生の映画ということで不安はあったのですが、結果的に行ってよかったと思いました。当然粗はあるんだけど、思った以上にクオリティ高かったし、これから世界に向かっていこうとしている作品がスクリーンに出る事自体にドキドキした。

 

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学生のぎこちなく若々しい挨拶があった後でまずは城真也監督『さようなら、ごくろうさん』。この映画が捉えているのは世界が過ぎ去っていくことのノスタルジアなのだが、それを表現していく方法が鮮烈だった。舞台は過疎地域の小学校、主役となるのは用務員のおじいさんで、学校に警備システムが導入されたためにお払い箱になってしまった後も夜になると校舎に現れては教員に煙たがれている。ある日、おじいさんが学内をさまよっているところに忘れ物をとりにきた小学生男子が現れ、戸惑いながら会話をすすめる。そんな彼ら二人の一夜限りの交流を中心に描かれる映画なのだが、白眉は後半の展開。序盤で導入される写真や鉄棒というアイテムの持つ意味が明らかになるに連れて、胸を締め付けるなにかが少しづつ溢れていく。特に、夜中に逆上がりを練習するもののずっと失敗していた少年が体育の授業で逆上がりに成功するシーンは、隣に座るかわいい女の子へ向ける誇らしげな表情と視線の動きだけで恋心の芽生えを見事に表現していて、その日におじいさんが亡くなっているという設定を考えると余計に切なくなる。また、夜の学校では硝子が鳴ったり机が勝手に移動したりなどの怪奇現象が起きるのだが、それはおじいさんの説明によると遊び相手がいなくて学校が寂しがっているからだという。だれもいない校舎というのはたしかに寂しくて、観ているとなんだか置き去りにされた気持ちになるものだけど、校舎のほうでも寂しがっているというのは視点として新しく、「寂しいのは自分だけじゃない」という安心感を与えてくれた。ここまででも十分に魅力的な作品なのだが、ラストシーン、おじいさんの写真が倒れると同時にカメラが上空へ向かっていき、学校回りの地理の様子を映すと建物が圧倒的に少なくて、本当に過疎化された地域であることが明らかになる。この映像の寂寥感たるや。さらに、この時点で学校が廃校になっているという事実が感情へズンとのしかかってくる。ものがなくなり、人がいなくなる。人間であればだれもが感じる無常感の発露を描いた作品は多くあるだろうが、そのなかでもよりオリジナルな作品に出会えたことが素直に嬉しかった。そうえいば、青年団などでよく芝居を見ていた前原瑞希さんが教員役で出ていて驚いた。

 

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二本目は橋本麻未監督『今晩は、獏ちゃん』。ダメ男の願望が急に現実化して戸惑う設定は『めぞん一刻』などから引き継がれるある種古典的なラブコメのテーマを参照しているといっていいと思う。夢を食べる貘がアイドルとして具現化するというストーリーも夢の描き方も特段目新しいものではないが、終わり方は独特だった。主人公と貘の女の子は一緒になることも明確に別れることもなく、二人が嘔吐感を共有するところで終わりを告げる。なんというか、少し怖い話として決着している。調子に乗ったダメ男に駄目出しするようなラストに思えたのだが、はっきりとした説明はなされない。この消化不良感を作家の技量不足に帰するのは簡単だが、説明のない終着に味のある不気味さが漂っているのはたしかで、今後発展できる可能性は十分にあるように感じた。また、獏役の女の子はチャイナドレスを着た見た目だけでおすのではなく、話し方や仕草で少しずつかわいく感じさせていくところがとてもよかった。

 ちなみに僕としては城監督の作品のほうが好きだったのですが、うしろの学生たちは『今晩は、獏ちゃん』により関心していたみたいです。

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最後は『ドレミファ娘の血は騒ぐ』。これはとんでもない映画だった。赤や黄の看板を使った色の氾濫とインテリじみた言葉の応酬。説明のないエロシーンによるストーリーのぶったぎり。とにかく実験的演出で世界を塗りまくっていて、その中でどこまでも凛々しく清らかに見える(だが劇中で処女ではないと喝破される)洞口依子だけがスッと浮かび上がる。この構造がたまらなく痛快。最後の河原での長回し岡崎京子『リバーズエッジ』のテーマ「平坦な戦場で生き延びること」を8年先取りしている。破天荒な勢いと暴走をギリギリで止める知性の綱引きを存分に楽しんだし、たしかにこれは学生の映画と併せて観ることに意味がある。今まで観ていなかったことを後悔しました。

 

今回の企画は総じてすごくよいものだと思う。やはり世界に向かい合う前の監督の作品が観られるというのは貴重な機会だし、もっとこういうチャレンジはあっていい。もちろん上映されるのが未来のない駄作では観客としては困るが、ある程度厳しいハードルを設ければ十分に魅力的なものになる。そのことを証明して見せた早稲田松竹と早稲田の学生チームには拍手を送りたい。

明日の夜が最後の上映なので、お時間ある人は是非是非。