I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

twitterが消える前に -2010年代前半のこと-

1.

ツイッターの閲覧制限、新CEOによる広告強化の妨げに=専門家 | ロイター (reuters.com)

   今回の閲覧制限に伴う混乱でツイッターがなくなるかどうかはわからないが、やはりツイッターの記憶はツイッターがあるうちに書いておくべきかと思う。
 2010年代をツイッター抜きで考えるのは完全に無理だ。私たちの世代の人間が紀元前のギリシャや唐時代の中国や19世紀のヨーロッパを研究するのと同じように後世の人が2010年代の精神史を研究するとして、ツイッターアーカイブがぶっ飛んでいたら途方に暮れるだろう。あるいは、SNSに対する過剰な美化や醜化が発生するかもしれない。多くの大きな事件、多くの大きな現象がツイッターと連動して発生していたのはもちろん、個人の言葉遣いも人間関係も精神感覚も、ツイッターのシステムに紐づいているからだ。すでに多くの方が論じている通り、我々の世代はツイッターを享受した経験を後に継ぐ義務を有している。
 私が最初のアカウントを登録したのは2009年12月。途中ログインできなくなってアカウントを変えたりしたものの、2023年7月現在まで使い続けている。つまり、2010年代以降を丸ごとツイッターと過ごしたことになる。もはやツイッターの申し子ではないか。
 しかしながら、ツイッターについて書き残すとしても、資料が膨大にある(それがすべていつ消えるかわからないから問題なのだが)。たとえば、誰がいつどういう内容のツイートをしたのかを記録したりして、資料性のある記事を綴っていくのはかなり骨が折れる。まずは全体図として、私がどのようなものをツイッターから感じ取っていたかの個人的クロニクルをおおまかに記す。そのうえで、細かいことをそのうち書いていけばいいかなと思う。思いつきではじめたのでどこまで続くかわからないが(できればほかの人にも同じことやってほしい、あと公共機関に記録を保存していただきたい)。
 

2.
 2009年12月にツイッターを始めたのは、当時やっていたバンドの宣伝が主な目的だった。ミクシィフェイスブックを始めた理由もそうなのだが、20代までの私はとにかく音楽活動で名が知れて生活もできて自分の作品に満足できる状態を夢見ていて、それの補助になるツールとして、あらゆるSNSを利用していた。ミクシィを2005年から使用していたことを考えると、私のSNS生活はかれこれ20年近くに及ぶ。
 ツイッターも、そうした宣伝活動、あとは実際にあったことのある大学やバンドの友人とわちゃわちゃするために始めた。とはいえ、ツイッターの面白かったところは、早い段階で有名なミュージシャンや作家や芸能人が実名で使っていたことだろう。リプライを飛ばせば、相手には確実に言葉が届いている。時にはそこでコミュニケーションが発生する。今では、そうしたコミュニケーションの安易さに関してネガティブな要素が強調されがちだが、2010年にはやはりその距離の近さが魅力的だった。音楽関係者でいえば、当時は後藤正文氏、七尾旅人氏、曽我部恵一氏あたりが積極的に発言をしていた。今でこそアカウントを残したまま亡くなってしまう著名人も珍しくないが、私が意識した最初の例はレイハラカミ氏だった。2011年の7月27日。フジロックから帰る電車の中、逝去の知らせをみた直後にハラカミさんが数日前までのんきな言葉をツイッターで発していたのを確認して、愕然としたのを覚えている。
 ツイッター開始当初は、バンドのライブと宣伝と、当時勤め始めたばかりの会社の愚痴を言う程度だったが、しだいに、音楽好きっぽい人の間でコミュニティめいた動きがあるのに気付いた。いくらかの人たちがリプライを飛ばしあったりするなかでお互いを認知し、友人のような関係を築いている。音楽に関して楽しそうに言葉を交わしていて、うらやましかった。最近は使わない言葉だが、いわゆる「音楽クラスタ」の一つである。2010年の後半に、半ば無理やり会話に参加しはじめたら、いつの間にか認知されるようになってとても嬉しかった。

 

3.
 2011年3月に大震災が起きて、そこでの情報収集とコミュニケーションにツイッターが役立ったのは確かだろう。毎日なにが起きているかよくわからないし、これからどうなっていくかもよくわからないなかで、会ったことない者同士が言葉を投げるとお互いが無言のうちに確かめ合い、時にはリプライ機能でより直接性の高いやりとりを交わす。それは、少しワクワクするような体験だったと思う。震災の後に、ツイッターで知りあった人の関係は親密になった。
 その証拠というわけでもないが、2011年の4月23日(土)に、私ははじめてツイッターで知り合った人たちと直接会っている。十数名の男女が吉祥寺の飲み屋に集まっており、当時多摩センター駅付近で働いていた私は、少し遅れて会場に到着した。ついたらもうかなりの人が酔っ払っていて、しかも半分くらいは知らない人で、戸惑った記憶がある。今は近いところで仕事をしている照沼健太や八木皓平は、そこではじめて会った。当時、照沼氏と八木氏はツイッター上で論争めいた議論をしており、ちょっとバチバチだった。この前、二人が『鬼滅の刃』に関して仲睦まじくリプライしているのを目撃して、微笑みがこぼれました。というか、2011年の自分にとって照沼くんは「@TeKe1984」および「テケさん」「テケピ」だったし、八木くんは「@lovesydbarrett」および「ラブシドさん」「ラブシドくん」だった。本名を知ったのは随分あとの話だ。

 

(飲んだ後にちゃんと挨拶を交わしているので、めちゃ喧嘩してたわけではなかったらしい)


 音楽の情報の共有感は、当時強烈なものがあった。まだストリーミングサービスがないころだから、新譜情報にはみんな敏感だったし、同じ作品を分け合っている人間の共犯感覚は甘美だった。2010~2011年あたりだと、大勢が聴いていたのはDeerhunterの『Halcyon Digest』やJames Blakeのファーストあたり。日本のミュージシャンだとandymoriogre you assholeが共通に聞かれていたと思う。あとはカニエとか坂本慎太郎とか。Cajun Dance Partyのダニエルとマックスが新しいバンドYuckを組んでそれがめっちゃオルタナっぽいとツイッターでみて、タワーレコードで視聴したらめちゃ好きだったのをよく覚えている。彼らの名前も久しくみてなかったが、2021年に解散していた。

 今も年末に年間ベストアルバムを挙げる人はいるが、2011年から14年あたりの年ベスはそれはそれは楽しかった。一枚一枚購入したものの中でベストを作っているのだから、かけているコストがストリーミングサービス以後と比べてケタ違いなのだ。当時、年間ベストアルバム20とか50とか挙げていた人間は異常な熱量で複製音楽を愛しており、その熱量が集まってムワンムワンの湿度の中でツイッターを見ているのだから、楽しいに決まっている。ArcaやAndy Stottの最初のEPの頃に年間ベストに選んでいる人もいて、その見識の高さにビビった。別に戻りたいとは思わないが、特別な一季節だったのは間違いない。

 

4.
 2011年にツイッター上の知り合いが一気に増えた。この年の5月から8月あたりは私が一番ツイッターを見ていた時期で、1日に数百ツイートをしていた。一体なにをそんなに書くことがあったのだろう。よく覚えていないが、とにかくずっと口を使わずにしゃべりちらしていた。関西や九州や東北や北海道に住んでいる、会ったことのない友人が増えていった。そういう(自分のいる東京から見て)遠くに住む人たちと、ふとしたタイミングで集まるのは最高に楽しかったし、「会ったことないけど友人」という関係も新鮮だった。十代から四十代までの人が一挙に集まって上下関係なく話しているのも面白かった。2011年のフジロックははじめて会う友人が20名近くレッドマーキーに集まっていて、なかなかにすごい光景だった。シャイな人間も多く、集まっているのに無言で向き合ってツイッターを開いている瞬間もあった。当時からの友人は今も時々会って話すし、長く会っていない人ともまたそのうちどこかで会いたいなと思っている。
 そんなノリで、2012年から2013年は過ぎていった。途中でインスタグラムも始まったりして、ツイッターと合わせて楽しんでいた。もう自分もすっかり忘れているが、初期のツイッターは写真や動画を上げられなくて(というかインスタもはじめは動画あげられなかった)、写真はインスタ、言語はツイッターみたいな使い分けをしていた気がする。
 そういえばこの頃、私はリベラルな政治理念の持ち主で、しばき隊のメンバーのツイートを追いながら反原発のデモに参加したりしていた(野間易通と共にしばき隊のスポークスマン的役割を演じていたbcxxxさんは今何をしているんだろう)。今ではかなり不信感を抱いている佐々木中の本も夢中に読んでいた。ツイッターで政治的な話をする人はごく一部で、自分の友人の周りにはほとんどいなかった。あの頃は、いかに面白いことをいうかが肝要で、みんなが平然と下ネタを言いまくっている中で音楽の話をたまにする、くらいのグルーヴがあった。友人の年下の女性が「多目的トイレの「多目的」の意味に思いを馳せたことがある人は、私とおいしい紅茶が飲めます」とツイートしていて、それにいいね(当時は当然「ふぁぼ」)がたくさんついていたりした。私もこのツイート好きだったから、消えたのは少し惜しい。くだらない時間を過ごすのはとても楽しかったけど、真剣な話ができないのが若干不満だった。今のツイッターでは政治問題に誰もが敏感になっていて、むしろ生真面目すぎることに不満があるから、本当に隔世の感がある。

 

5.
 2015年、2016年あたりから、ツイッターでできた友人と会う機会が減ったように思う。単純に時間が経ったからだろう。熱気はそのうち冷めるものだし、長く続けていけば飽きるものだろう。この辺りから、徐々にフェイドアウトする人もいた。私も当時は仕事やプライベートでしんどいことが多い時期で、そうした問題に向き合いつつ、細々とツイッターを続けていた。ずっと落ち込んでいるわけではなかったが、書きたいことも限られていた。むしろ、読書メーターやFilmarksをこの頃にはじめて、本や映画の感想を書く作業がメインになっていた。ツイッターもそうしたサイトのリンクを紐づける形で使用していた。
 2017年の4月に私はゲンロンの批評再生塾に参加する。ここから私の批評業/文筆業のキャリアがスタートするわけだが、あわせてツイッターの使い方も変化する。2017年以降の話もしたいのだが、近い過去に位置するため、そこまで対象化できていない気がする。というか書く気が起きない。そのうち書きたくなったら書く。

 10年以上の時間が経って今どこで何しているかわからない人も増えた。同時に、いまだにツイッターを互いに続けている相互フォロワーもかなりいる。

 北海道に住んでいるたびけんさん(@02tabiken02)は自分と同世代で好きなバンドもかぶっているのだけど、一度もお会いしたことがない。去年の年末、知り合ってから10年以上経ってはじめてスペースで会話して、妙な感慨を覚えた。

 ずっと関西に住んでる一人の女の子(鍵アカなので名前は伏せておきます)は、2011年当時にお互いの日々のつらいことを電話で話し合ったりして友情を深め、その後もどちらかが関東/関西に来るたびにたびたび会っていた。今では結婚して一児の母になっているのもあってしばらく会ってないけど、たまにツイッターやインスタで見かけると安心するし、同じ季節を生きたある種の同志だなと思う。

 全くリプライを飛ばしたこともないし会ったこともないがなんとなくお互いを見ている人もいて、そういう人が今も生きているのを確認すると少し元気になる。さらには、一回もフォローしたこともないのに存在は10年以上知っている人もいる。マジで希薄な関係だが、同じ時間を共有した感覚だけを、こちらは勝手に抱いていたりする。激薄かつ濃密。この、奇妙な共有感覚が、ツイッターにおける何より貴重なものだ。ミクシィにもインスタグラムにもフェイスブックにもこのフィーリングはなかった。ツイッターにしか存在しない奇妙な関係に惹かれているから、私はツイッターをやめようとは一切思わない。

 

 最後に、私が好きなクラシックツイートを何個か引用して終わります。もう消えてしまったものも多いなー。全然思い出せないのでたまに掘り出して見つけたら増やします。