I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

『部屋に流れる時間の旅』について

君の幽霊になんかなりたくなかった 誰の幽霊にもなりたくなかった

僕には誰もいらない

The National『Everyone's Ghost』 

 チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』は能・狂言の翻訳などを通じて日本古典芸能に触れていた岡田利規の近年の活動が比較的ダイレクトに舞台に反映された作品といっていいと思う。

舞台上に人物が三人しか現れず、動きや言葉数が制限されていること、あるいは客席に背中を向けた演者やセットの簡素さ(だが色の変わるカーテンや回転する石など目を引く仕掛けはいつくか用意されている)が能を想起させるかもしれないが、それ以上に幽霊が登場することが大きい。

作品に登場する幽霊は、先に進もうとする男を引き止めるかのように、ひたすらに話しかける。そこで語られる言葉の幸福なイメージが強烈な呪縛の役割を果たしているようだ。

その幸福が、大きな事件によって作られた、あるいは発見されたものであること。悲しみの上に見つかった幸福がさらに悲しみを誘発してしまうこと。終わりのなさを強く意識させる。恐怖と悲しみが隣り合った感情であることを、思い出させるような75分。もちろん、そんな簡単に割り切れるものではないのはわかっているけど、今のところはひとまず。