I was only joking

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新芸術校グループ展「其コは此コ」

ゲンロン新芸術校グループ展「其コは此コ」に伺いました。

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新芸術校の4つのグループ展のうち、今回は最初のAチーム、四名よる展示。作家それぞれにやりたいことがはっきりしていたため、展示自体の明確な方向性は定めなかったとのことだが、観ていると一貫性が徐々に感じられてくる。すぐに気付くところでは、それは一種の雑多さだったりするだろう。猫を描き続ける友杉宣大にしろ、抽象画を志向するよひえにしろ、同じモチーフを様々な色、様々な線で増殖させることによって、静謐に整理されたものから離散していくような印象を観る者に与える。白黒の線のみを使用する中村紗千の怪獣が描かれた風景も、質の異なる線が入り乱れてカオスの様相を呈しているし、最もミニマリスティックな龍村景一の映像作品も、15秒足らずの白黒素材をいじり倒すことで時間が引き裂かれていくようなダイナミズムが付与されている。個々の作品がバラバラという意味で雑多なのではなく、雑多さによって全体が統一されているということだ。

もう一つ、共通点を挙げるとすれば、それは「移動」という言葉で表される。友杉は猫が旅する様子を何枚も何枚も描き、会期中も設置されたテントの中で猫の絵を描き続ける。猫は現在進行形で移動している。龍村の作品は裸の男(龍村自身)がスクリーンの中心めがけて突進していく映像を基に作られているが、映像はやがてスクリーンと相似をなす多数の長方形で分割され、移動する裸の男の残像がスクリーン上に大量に現れることになる。カチ、カチとなる効果音が次第に増幅して最終的に細かく刻まれたリズムを作り出す音響効果も、疾走感を表現するのに一役買っている。よひえは会場トイレの中にピンクやオレンジといった暖色系の色彩をメインにしたアクションペインティング的抽象画を数点展示しているが、トイレには水洗機の上にライトが用意され、そこから録音された音が鳴っている。この音はよひえがiPhoneで移動しながら収集した、街の音や車のラジオの交通情報などで構成されているものだ。日常的な移動の中で聞こえてくる音と、抽象性の高い絵画を合わせることで、抽象と具体の間に触れるような展示となっている。中村の作品には比較的大きく描かれた怪獣の表象と併せて、橋を渡る小さな怪物達がいくつも描かれているのが特徴的だ。怪獣達が流れるように移動していく様子と、生命力を持っているかのように激しい描線の跡を目で追っていると、一つの平面に時間性が宿っている感覚を覚える。彼らはみな、「移動」を含む表現を志向することにより、静止された平面に時間を刻もうと、あるいは単数の時間を複数に分離させようと努めている。

「其コは此コ」展は、「其コ」と「此コ」の間を「移動」しながら、その間に出会う「雑多」な世界をトレースしていくという、淡い意志に支えられて展開していた。その「雑多」な世界のなかには、時間も空間も心象も外景も含まれるだろう。時間が空間と重なる地点に、抽象的なイメージが具体的な日常と重なる地点に、「其コ」が「此コ」と重なる地点に、作家達は身を置いている。そしてその点は、今日も移動を続けている。

 

 

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