I was only joking

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LOCUST2号発売、そして三つの力について

僕が編集長をしている雑誌『LOCUST』の2号が5月6日の第28回文学フリマ東京にて発売されます。

 

 

bunfree.net

 

あらためて、LOCUST(ロカスト)とは何か。それは批評の言葉で作る、新しい旅行の本です。本の作り手たち(編集者、執筆者、デザイナーetc.)が直接その街・その場所に足を運び、互いに言葉を交わしあい、そこで感じたことを文章や写真などの表現に変えていきます。とても遠回りな、だからこそ様々な可能性に開かれた旅行ガイドです。

 

今回は八王子、福生奥多摩という三箇所をメインに、西東京の最果て、〈FAR WEST東京〉に足を運びました。東京という場所がどのように形成されたのか、「果て」とは僕らにとってどんな意味を持つのか。そんなことを考えさせる本ができました。論考のテーマは武蔵野、ユーミン天皇聖地巡礼アメリカ、民話、写真、モスラ、怪談と、バラエティ豊か。インタビューや写真ページも追加されて、より厚みのある内容になりました。

 

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ここで僕は、今後も刊行していくだろうこの「LOCUST」の持っている力はとはなにか、編集長として考えてみることにしました。まとまるかわかりませんが。

 

一つに、旅に行く感覚を読書から感じられる本であること。僕らが辿った行程を体験するような、読むことで体が動いているように感じるような、そんな本になっています。もちろん、読んだ後で、あるいは読みながら同じ場所に自分で行ってみるのも楽しみ方の一つでしょう。

 

二つに、日本の土地と歴史について再考する試みになっていること。二号作ってみて、僕たちは土地について調べるとどうしても、その土地と都市機能との関係について考えてしまうことに気づきました。そこから生まれた言葉は、「東京と地方」とか「都会と田舎」とかいう、わかりやすく便利に(故に多くの要素を切り捨てて)凝り固まった地理イメージを、脱臼して再定義することになる。だから、LOCUSTを読んだ人は、自分の住む場所について、改めて考えを巡らせることができる。自分が寄って立つ現在位置についての認識を、深めることができる。これは、いわゆる「旅行ガイド」にはない機能であり、「批評」の力があるからこそのものです。

 

そして三つに、今の世界における〈共同性〉、つまり僕らが「ともにいること」を考え実践するための本になっていることです。これは、バラバラになった孤独な人々が連帯するといった話ではありませんし、気の置ける仲間と旅に行くことを勧めているわけでももちろんない。個人それぞれが持つ「ともにある」感覚を、バラバラのまま呼び起こす。そんなことを考えています。

人口過多で、「全て」がネットワークで繋がってしまっている逃げ場のない世界の中で、僕らは生き残るために人から求められることを求めている。求められなければ、必要とされなければ、他者からの「承認」がなければ、生きている意味なんかない。そんな切迫した認識を植え付けられ、「誰からも欲されない」恐怖を追い払おうと必死になっている。そうした状況は非常にしんどく、見方によってはとても醜いものでもあるけれども、そこには必ず社会的な必然性があって、頭ごなしに否定しても仕方ない。ただ、「必要」や「承認」以外の関係で、他者と共にある手段はないか。僕らが「普通」に自分以外の人と付き合うことはできないのか。「イナゴの群れ」のように集団で旅行に行き、集団で本を作るというLOCUSTの方法は、今ありうる〈共同性〉を探るために採られています。旅程を共にし、言葉を交わすことで、それぞれの感覚が交換される。その交換はあくまで部分的なものであって、似たような問題意識を共有していても、書かれたものには大きなブレが生じる。例えば今号では、福生にて南島興が「地元を観光する」ことを考えている横で、灰街令は「飛行機のノイズ」に耳を済ましている。八王子にて伏見瞬がユーミンの音楽について思いを巡らす一方、渋革まろん武蔵野陵の墓の形にこだわり続ける。全員の思考がブレブレだが、ブレを可視化する形で、結果的に一つの形(「LOCUST」という本)となります。その本は一つの共同体を形成しているわけではない。ただ、個々が影響を与えあったという結果が、本の中で確認できるだけです。けれども、そこで確認されたものは、必要としあうという「依存」的な繋がりではく、交換が気づいたら生じているという「並存」的な繋がりです。並存を表現した印刷物が、多くの人の手に渡ることで、また新しい感覚の交換が生じる。LOCUSTは多くの人に認められることを目的としません。強固な共同体によって世界の暴力から身を守ることも目的としません。人々が交換の中で「並存」する〈共同性〉を、僕やあなたの中に呼び起こすことが、何よりの目的です。僕らが影響を与え合いながらもバラバラに生きることができるという、「承認」の繋がりが覆い隠している「普通」の実感を思い出させるために、この「イナゴの群れ」は存在するのです。

 

・・・気づいたら勢いに乗って書きなぐってました。僕が今LOCUSTに感じている良い予感のようなものを、なんとか言葉にしようと試みた結果です。いずれにせよ、LOCUSTの2号は5月6日に発売されます。

 

文学フリマの「ウ-37」ブース。お値段は1500円です。

 

LOCUSTの1号も一緒に出店します。ぜひ、お手に取っていただければと思います!

 

 

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