前回はこちら
沈黙、というほど音が消えたわけではないのだが、音が「何も語らない」感覚がこの時間の中にある。感情への耽溺、宗教儀式的な荘厳さ、あるいは機械的な無情の強度。エモでもニューエイジでもインダストリアルでもない。だが、無音でも無菌でもない音楽。
シンセ音が素っ気なく現れては消える。常に動いているが常に穏やかで、それは「自然」が持つリアリティを表現している。と同時に、音自体は人工的な電子音で構成されているし、人為的で古典的な「作曲」も作業工程に含まれている。この一分間の音楽は自然/人工の対立を解除し、どちらも根っこは同じであることを証明している。そのように僕には聞こえる。
35:00 細いfのシンセの音が持続。揺れる電子音の壁(dに聞こえる)が背後を覆っている。
35:01 シンセ音がfからa#に変わる。壁が大きくなる。背後に霧を連想させるシュワシュワした音が混じっている。
35:06 一瞬ひよこの鳴き声のような「ピヨっ」という音が聞こえる。
35:08 低音が減退し、全体の音が薄くなる。
35:10 「サーァ」という波のようなノイズが一瞬聞こえる。
35:12 dを基音とした、低音〜中音域を覆う靄のような音が膨れる。左チャンネルからは高音のdのシンセ音が揺れながら膨張を始める。
35:18 fの音。輪郭のない、風のような。
35:22 低い音のうねりが目立ち出す。dの音。
35:24 右チャンネルよりにモヤモヤしたdのシンセ。初期のエイフェックス・ツインに使われてそうなくぐもり方をしている。
35:30 アタックの強い電子音がせり出す。cとe#が聞こえる。
35:33 高音の、無造作に揺れるcの音。なんというか、人魂っぽい。
35:41 中音域のa#と低音のgが同時に響き出す。マイナー調でゴスい雰囲気。
35:45 低音の音が複数になり、膨張する時間。
35:49 左チャンネルよりに高音のa。スティールパン風の音。
35:53 fからa#へ移る細いシンセがここで反復。
35:55 少しギラギラした高音のアンビエンス音が左寄りに響き出す。
一つの音の音程が動くところが何回かあり、メロディを作り出しそうになるものの、メロディアスに転じる手前で消えていく。「音が感情として形成される直前の感じ」を積み重ねている音楽である気もする。寸止めアンビエンスといったところか。(続く)