I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(5:00~6:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

音が一音一音重なるたびに「う、美しい・・・」「き、気持ちいいい・・・」という気持ちになって、言葉に移し替えるのをやめてしまいたくなる。そんな一分間。音色として新しい音が入ってきたわけでもないのだが、今までの五分間の音が馴染んできて、ただただ心地よく耳にフィットしてくる。この一分がこんなに快楽的に感じられるのは何故だろう。音楽のせいではなく、僕の調子がいいだけなんだろうか?そうかもしれない。時系列的に出来事を並べて、そのあとで考えた方が良さそうだ。

 

5:00 d音のキンとしたフィードバックが耳に響くのだが、刺すような鋭さよりも包み込むような心地よさが印象として先行する。慣れたのだろうか?ただ、このフィードバックはすぐに止む。

5:02 水が弾けるような鍵盤の音。音程はg。

5:04~16 ピアノのアルペジオ。過去にも反復されたc,d,f,e,aというフレーズ。ただし、今回は最後にgが付け加わっている。この間にd音のフィードバックの音量が上がる。

5:22 ピアノでcの音。

5:27 10秒ほど続いたフィードバック音の音階がdからeに変わる。

5:33~42 ピアノでd,f,e,a。同型のアルペジオが反復されているが、cが十秒前に鳴って一度放置されていることからもわかるように、より間隔を開けて演奏されている。

5:38 キーボードでトレモロをかけたような音が断続的に聞こえてくる。高くも低くもないミドルの音域が持続する。

5:45 音域の高いシンセの音が聞こえる。

5:46 蚊の声みたいに細かく揺れるdの持続音。

5:51 低音のシンセのcが上ずるように響きを広げていく。ほとんど同じタイミング高音のgのフィードバック音も大きくなる。いくつかのフィードバック音が積み重なる。

 

もっと細かい動きを指摘することもできるかもしれないが、そこまで言葉で形容するとキリがない。この一分間は変化が多い。ピアノ、シンセ、スティルギターが入れかわり立ちかわりに現れる。それが楽しい。

1:20~30あたりを聞き直して比べてみると、やはりフィードバック音が耳にキツい音(それはそれで快楽的)ではなくなっている。慣れただけではなく、音自体も異なっているようだ。危うい鋭い音から、優しく快楽的な音への変化。

今までの使われていた音程はc,d,e,f,g,a,bフラット。これはcのミクソリディアンスケールで、このスケールから外れる音程は今のところ確認できていない。ちなみにミクソリディアンスケールはThe Beatles/Hey Judeのアウトロ(ナーナーナーのところ)、Nirvanaのカヴァーでも有名なDavid Bowie/The Man Who Sold The World、Television/Marquee Moonなどで使われている。The Man Who Sold The Worldのコーラスのリフはスケールを上昇していくフレーズなので一番わかりやすいかも。

 

 

気持ち良くなってきたのでこのあと聞くのも楽しみである(続く)

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(4:00~5:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

加えられていく音数が少ない時間。一音一音に耳をそばだてる時間が長くなり、瞑想に近い状態に体が入る。氷の洞窟の中にいる感覚。さっきまでだったらノイズに埋もれていただろう鍵盤の音が。水がはじけるようにパシャっと広がる。

 

4:00~4:17 新しい音が加えられることなく、低音fのシンセ、高音bフラット(久しぶりに黒鍵の音?)のフィードバック、その間で鍵盤gの音がずっと持続していく。fがルートだと考えるとgもbフラットもテンションの音で、メジャーもマイナーもないぼんやりとしたコード感

4:17 一度消えた低音fのシンセが再び現れる。倍音が微妙に揺らいでいるように聞こえる

4:27 水が跳ねるような鍵盤の響き。gとdを同時に鳴らしている。

4:35 高音(基音はdか?)と低音eの音量が同時に上がっていく。

4:43 gのピアノと同時にフィードバック。しばらくフィードバックに包まれる。

4:45 低音のf。

4:56 低音がeに移る。ピアノを押した音というより、チェロの弓を弾いて出した音のような持続感のある印象。

 

ここではルートのなる低音がfとeの間を半音ずつ行き来している。これがdやcに移ればもっとコード感が出るだろうが、二つの音を繰り返すことで宙吊りの浮遊感が生じる。不協和にも協和にも聞こえない曖昧さを残したメロディメイキング。今まで聴いた通り、この曲はフレーズが反復しているわけでもないのだが、ずっと同じムードが続いているようにも感じる。これは和音の構成を最低限のものにすることで、曖昧さを保っているためだろうか。ただ、反復はしていないが、曲のかなり大きな要素がスティールギターのフィードバックと思われる音で、少なくとも開始5分間は何度も何度も現れてくることが確認できた。さて、この後はどうなるだろう。(続く)

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(3:00~4:00)

前回はこちら

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次の1分間は今までよりも穏やかな印象を与える。高いキーンと響く音が減り、虫の鳴き声のような音が控えめの音量でわさわさと聞こえてくる。

このわさわさいう音をどう鳴らしているのか気になるのだけれど、インタビューで短波ラジオを使用していると言っているので、おそらくラジオの音だろう。

mikiki.tokyo.jp

 

使用楽器は、ピアノ、ペダルスティールギター、短波ラジオシンセサイザーの四種であるという。幾重にも重ねられるフィードバック音は一般的にエレクトリックギター

ではない音だと思っていたけど、ペダルスティールなら出るのかもしれない。自分の経験則だけど、エレキのフィードバックはよっぽどコントロールしない限り、倍音がもっと中域に集中するはず。

ちなみに、ペダルスティールギターはこういう楽器。

 

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持ち運びのは大変そうだけど弾くのは楽しそうだな。

 

話を戻す。わさわさした虫の声ってどちらかという夏の印象を与えると思うのだけど、この曲の印象はやはり冬のままだ。ピアノとシンセの単音が冷たく、涼しく響いているからだろう。

時系列に並べてみます。

3:02 フィードバックの中、2分台から続いてるピアノの単音。(c,dときて)f。

3:05 小さい音でgの音。シンセ?少し固い響き。

3:10 短波ラジオと思わしきわさわさいう小さなノイズが目立ち出す。

3:15 ピアノでeの音

3:23 固いシンセの音だが先ほどより目立つ。音程は同じくg。

3:28~ わさわさが続く中、少し久しぶりのフィードバック。基音はa。さらにピアノでもaの音が。

3:32~41 ピアノでc,d,f,e,a。←これは2:32~44のアルペジオと同じ。

3:44 固いシンセが同じくgを鳴らす。少し先ほどより倍音強め?

3:46 a音の高音フィードバック。直後に低いシンセの持続音がfで。少し音量の小さいフィードバック音も合わせて聞こえてくる。

3:50 c,dとピアノで二音。再びf,e,aとくるかと思いきや・・・

3:58 間をおいてgのピアノ。

 

ピアノで同じ音列のアルペジオ(c,d,f,e,a)が確認でき、はじめて明確に反復と呼べる要素が曲に入ってきた。とはいえ、それも一音一音の弾かれるタイミングが異なっており、cから最後のaまでかかっている時間も前者は約12秒、後者は約10秒で違う。DAW上でコピーペーストしたものではなく、およそどちらも別に演奏している。ただ、この「≒反復」で、この曲の根音がaで、白鍵上を移動していることから、Aマイナーの曲だと推測することができる。コード進行が変わるというより、Aマイナーの音階の中で移りゆくモード風の曲。単調だから少し寂しくもの悲しい感じは覚えるが、強い悲壮感は出ていない。それはAマイナーの音階の二音目に当たるb音が使われていないからではないか。理論上の理由はわからないのだが、Aマイナーをb音抜きでa,c,d,e,f,gと登って弾いてみると、少し洒脱な雰囲気が漂う。その軽さゆえに、『Sleep Like It's Winter』は悲しみのような強い感情は感じさせずに、ほのかな寂しさを纏うのではないだろうか(続く)

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(2:00~3:00)

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さて、2分が過ぎた。

どうやら、この曲の特徴を成している音は、音量と一緒に倍音も増加していく高音のフィードバックノイズ(ノイズというには音が整理されている、専門的な言葉を使うと日整数次倍音が少ない気がするが、耳にキンと響く感覚はノイズと呼ぶにふさわしいと思われる)であることがわかった。もちろんまだ2分が過ぎたところなので確かなことは言えない。私は最後まで何度も聞いているので大体の展開は覚えているが、知らないふりをして少しずつ進んでいく。

次の1分間の印象は大体こんなだ。

フィードバイクの波が落ち着き、凪の時間がやってきた。鍵盤の単音がそれまでより大きく感じられる。だが、凪はすぐに終わる。鍵盤の音がいくつか弾かれるのに合わせて、波も再び少しづつ押し寄せる。そして、後半に入ると、またもや音の壁に包み込まれる。冷たいが柔らかい。不思議な感触の壁だ。この空間にずっと入っているのも幸せかもしれない。そんな思いにかられる音だ。

 

時系列で書くとこのようになる。

2:00~ 森の中を風が抜けるようなさわさわした音とフランジャーのかかったようなぐわんぐわんした音が混ざって控えめに鳴っている。こういうアンビエントっぽい音はどのように鳴らしているんだろう。アンビエントの作り手としては僕は完全に無知なので、専門の人に聞いてみたい気がする。その前に自分で調べた方がいいだろうけど。

2:09 小さめの鍵盤でdの音が響く。

2:15 もう少し大きいgの鍵盤の音。倍音が強い。この辺りからフィードバックが再度現れる。音量はそこまで大きくないが、音階の異なるフィードバック音が五重、六重に重なって聞こえてくる。

2:28 自然音もざわざわした音がわずかに聞こえる。今までの音とは少し毛色が異なるので気になる。

2:32 cの鍵盤がなると同時に、一気に沸騰。

2:35~2:44 鍵盤が間を置いてf~e~aと続く。その間、aが基音と思われる沸騰フィードバックが音の壁を形成している。

2:51 ベンディングされた、音階が不定形に曲げられた「ふよ〜〜ん」という音が右チャンネルから左チャンネルへ流れてく。少し可笑しい。

2:56 フィードバックが続く中、cの鍵盤。

 

ここまでで気づくのは、鍵盤がほとんど全て白鍵の音であるということだ。黒鍵を駆使して半音で音が動くようなところがない。和音の要素を紐解いていくと、かなり単純なものになるはずだ。倍音の変化で印象を少しずつ変えていく曲だから、複雑な和音は邪魔になってしまうのだろうと想像できる。単純な和音構造は、アンビエントの基本的な規則であるだろう。ジム・オルークはインタビューで「私にとってアンビエントは何か?と自分に問いかけた」と語っているが、その一つが和音への意識として現れているのだろうか。(続く)

 

mikiki.tokyo.jp

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(1:00~2:00)

前回はこちら

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前回のやつを書いてみて思ったが、逐語的に音が現れるたびに一つ一つ言葉にしてみても、聴いていない人には全く伝わらない可能性があるぞ。1分間を時系列に沿って具体的に説明しようとするより、1分間丸々の印象を凝縮して抽象的に書いた方が良いかもしれない。しかし、あまりに凝縮し過ぎると1分ずつ聴いていく意味がなくなる。そもそも44分を凝縮した印象で語ると見逃すものがあると思ったから、細かく分解しようと思ったのではなかったか。では、どうする?

ここで私は気づく。

 

「どっちも書けばいい」と。

 

 

では、どっちも書きます。

 

まず、1:00~2:00の凝縮した印象から。

冒頭近くから幾度か現れる「やかん沸騰フィードバック」が幾重にも重ねられていく。モノトーンが濃さを変えて連なった虹を目の前にしているかのような気持ちになる。何度も塗り替えられる白黒。同時に、頭を貫くような高音は、その鋭さゆえに聴くものを少し不安にさせる。頭が壊れてしまうのでないか、ひどい痛みに襲われるのではないか。そんな予感に心がざわつく。淡い色を重ねていくような美意識と、鋭いアイスピックで頭を刺すような暴力性が同時にイメージされる。そんな一分間。

 

具体的に何が起きているかは時系列で書いてみます。

1:00~1:03 持続音が続く

1:03 高音のフィードバックが重なる

1:09 高音がフェイドアウトすると同時に低いdのシンセ音が鳴り出す

1:10~1:25 次々とフィードバックの波が押し寄せてくる。私の感覚で数えると5回。基音となるのはf,a,dあたりだと思われるが、倍音が強いため細かく聞き取れない。その間に、右チャンネルから虫の鳴くようなバックグラウンドノイズが断続的に聞こえている。

1:25 低く柔らかいeのシンセ音。高音の刺激をなだめるかのようにポーンと。しかし高い音の波はこの後も押し寄せる

1:30 ピアノ音がかすかに聞こえる。eの音だ。10秒後には同じ音色で低い方のaがなる。この二音からは、打ち捨てられた屋根裏部屋のようなもの哀しさが伝わる。

1:50 フィードバックの波が少しずつ鎮まり出す。減少していく持続音の中で笛のような響きが大きくなったり小さくなったりする。バッググラウンドでわさわさいっている音が、持続音の残骸か、それとも別のノイズなのかがうまく判別できない。無数の音が出入りしているから、どれが新しく現れた音か、どれが消えかけの音かわからないのだ。

 

2分が過ぎた。ここまでの印象は「ひどく騒がしい音楽」。夜明け前の森の中に似ている。私の実家の近くに大きな森林公園があって、眠れない夏の日に一人でそこまで散歩したことがある。おそらく午前5時頃だったと思うが、森を前にした時の虫の鳴き声のあまりに豊かさにたじろいだ。どんなノイズミュージックよりも騒がしく変化に満ちている。それは不安と安心を同時に与えるような音楽だった。『Sleep Like It's Winter』の最初の2分間は、この時の記憶を思い起こさせる。(つづく)

 

 

jimorourkenwm.bandcamp.com

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(0:00~1:00)

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Jim O'rouke(ジム・オルーク)が2018年にCDとBandcamp上で発表した一曲44分21秒の作品『Sleep Like It's Winter』は僕にとってこの年のベスト作品でした。それどころか、今までの人生で聴いた多くの作品のなかでも屈指のものだと思われるのですが、なにがすごいのかが全くわからない。アンビエントと形容されるにふさわしいこの作品のどこか特別なのか、何が他のアンビエント作品と異なるかがうまく説明できないのです。聴いているときのただごとじゃない感覚は一体なんなのか。どうすればその感覚の正体に迫れるのか。僕は相当に愚直で、おそらく邪道とも方法をとることにしました。

 

この曲を、1分ずつ聴いて言葉にしていく。

 

全体としての印象が曖昧なら、部分で分解していくしかない。一歩一歩(一分一分)少しずつ聴いていく。阿呆らしい気もしますが、とても贅沢な試みである気もします。

 

jimorourkenwm.bandcamp.com

 

ジムさんの説明もした方がいいんでしょうが、一部では非常に有名な人ですし、ここでは詳しい説明は省きます。1969年シカゴ生まれ、90年代から実験音楽電子音楽・ポップス・アメリカントラディショナルなどの多彩な作品を発表しており、21世紀に入ってからは日本に移住して活動しているミュージシャン、といったところでしょうか。2010年ごろ、ビルボード東京でのバート・バカラックのトリビュートコンサートがあった時にバンドリーダーをしていたのをよく覚えています。ジムがゲストの細野晴臣に「細野さんには灰野敬二さんと共演してもらいたい」と言って細野さんが苦笑していたのが印象的でした。細野晴臣灰野敬二の音楽を共に愛好しているところが、ジム・オルークの感性をよく表している気がします。

前口上はこのあたりにして、あとはほぼ文脈抜きで聴いてみようかと思います。

では、いきます。

 

 

再生ボタンを押すと、鳥の鳴き声のような音がわずかに聞こえてくる。そうと思った矢先に、キーーンと倍音豊かな音の響きが音量を上げて耳を塞ぎ、同時にギターのフィードバックのような音と低音のシンセサイザーっぽう持続音が鳴り出す。フィードバック音はd(レ)で、低い音はe(ミ)だ。この冒頭10秒あまりで、冬の印象が与えられるのは何故なのか。タイトルに引っ張られているだけか。しかし、高音の響きが氷の鋭い冷たさを思い起こさせるのは確かだ。ディストーションやファズのかかったギターソロがしばし熱さを連想させることがあるように(例えばファンカデリックにおけるエディ・ヘイゼル)、レゲエのリズムが常夏の気候を想起させるように、冷たさの印象を聴く者に与える音も存在する。『Sleep Like It's Winter』の冒頭10秒の音楽は間違いなく「冷たい」。キーンという音が鳴る前のおよそ3秒間に聞こえる自然音ともシンセ音ともとれる「さわさわ」した音からは冷たさはまだ感じれらない。やはり、甲高い音が冷たさを私に宿すらしい。この音の音量が上昇していく感じは、アイスクリームを一気に口に入れた時にやってくる頭がツーーンと痛む感じにとてもよく似ている。耳キーーンと頭ツーーンの相似形。どうやら「似ている」ということに、「冷たさ」の理由はありそうだ。しかし、このまま「冷たさ」の理由を考え続けるのは泥沼の予感がする。先に進もう。

この「キーーン」音は10秒ほどで消える。低音のドローンはまだ持続していて、そこに高音だが先ほどよりは少し低い、虫の鳴き声に似た笛のような音が鳴り出す。そのあとで更にフィードバック音が加わり、開始30秒で持続音のオーケストラのような状況になる。少し落ち着いた38秒あたりでgの低音シンセ、さらに鐘の音のような打音が二つ、b♭とaが鳴る。直後に少し音量を下げて同じ音色のf。この鐘の音のようなサウンドも氷を叩いた時の音を思い出させる。メロディのはっきりしないバックグラウンドのサウンドも一様ではない。そのことがわかるのが45〜50秒あたり。水をオールで漕ぐような音と、森の中で虫が鳴いている音が分離して聞こえている。この後に、更に冒頭と同じような高音域でのフィードバック音。一瞬「ポーォワ」という可愛い音が聞こえて、そのあとで鍵盤らしき音でeとaが鳴る。鍵盤の残響と冷たいフィードバックが響いたままの状態。ここで1分が経過する。

 

ひとまず、一分までいった。ここまでのことでわかることをまとめよう。

・「冷たさ」を想起する音が散りばめられている

・ギターのフィードバックのような音(楽器をやっていない人は「やかんが沸騰した音」を想像してもいい)が何度も現れては消えて、更に現れる。

・聞き取れるだけで5種類の音色が使い分けられており、音程も別。今のところ、全くもって反復的ではない。

 

ブライアン・イーノをはじめとするアンビエント・ミュージックの多くは、反復をもとに作られている。反復に気づかない程度のさりげなさで差異を含ませる。それがアンビエントの基本的な構成だ。対して、『Sleep Like It's Winter』の音が現れては消える様は反復ではない。変化し続けている。しかしながら、劇的な変化という印象も受けない。むしろ、反復していないのに反復しているように聞こえる。この感じは何なのだろう。ひとまず、先を聴いてみよう。(つづく)

LOCUSTな日記 1/27

今の気持ちは「不安でめんどくさい」です。

LOCUSTは一号が想像以上に多くのポジティブな反応をいただき、力をいただいた。二号も話し合いを進め、先週には旅行にも行った。旅行中はほんとに楽しかった。本を作る過程に「旅行」が組み込まれてるのはほんとにいいな、やっぱりロカストってもの作りのキツさの中に楽しみを含めることができてるんだなと感じた。

とはいえ、今は色々やらなきゃいけないことが多く、僕は編集長として全体の流れを見る立場なのでちょっと不安になります。作業が滞るのではないか、どこかで不和が生じるのではないか、関わってくれた人に嫌な思いをさせたりはしなあか、作れても二号は売れないのではないか。こういった不安が時によぎる時期で、今夜は不安が強い夜です。

 

色々新しい試みをしたいしアイディアも沢山出ているのだけど、一気に実現させようとすると自らの首を締める可能性が大きいので、自分たちの余力を測りながら動かなくてはいけない。ある程度の計算と、いざ踏み出す時の思い切りの良さが必要。めんどくさいのだが、このめんどくささとうまく付き合わなくてはいけないのが人生なのでありまして。

 

ただ、ロカストは批評家としての力がある人だけでなく、事務能力の高い人、コミュニケーションがうまく取れる人もいて、そこは非常に頼もしい。不安だけどなんとかなるという気持ちもある。ちなみに、ぼくは上にあげた能力が全てそこそこにあるが誇れるほどのものではないという自己認識で、かなり凡庸な存在なのかもしれない。だから編集長任せられてるのかもしれない。

 

もう次のネタばらしをしますが、次回のLOCUSTは「Farwest 東京」と称して多摩地域の奥、八王子〜福生奥多摩あたりを特集します。東京都にありながら、どこか遠い場所としてイメージされる西の果てに、何が見えるのか。そんなことを探ってみようかと。前回の内房とディズニーはそれぞれ日帰りだったのですが、今回は奥多摩に泊まりました。泊まったところがすんげーいい宿だったんですよ。これは本の中でも大きく取り上げる予定ですが、ただの宿じゃないです。昔話が聞ける宿です。詳しくは本誌をお待ちください。

 

もう一つ、前回との違いは批評再生塾3期生以外のメンバーも加わったことですね。まだゲンロンスクール出身のメンバーがほとんどですが、これから新しい書き手も増やしていきたいと思っています。

ロカストに参加したい書き手の方がいたら是非とも伏見まで連絡してください→sarai.nuh@gmail.com

 

書き手を変えていくのは書き手同士の相互作用を重視しているからですね。「群れ」となるメンバーが異なることで、新たな作用がそれぞれの作り手に生まれる。ロカストは旅の経験を共有することで相互作用を生み出す。同じメンバーだけで動いていると作用も生まれなくなるから、新しいメンバーを加える。ただ、これは毎回メンバーを変えなきゃいけないという結構面倒な行程を踏むので、今後実践的にどこまで出来るのか。いやぁ、めんどくさいですね、ロカストって。そこが楽しいですね。

 

今は、それぞれの書き手がなにを書く予定かを共有し、論考以外の記事、関連作品ガイドやインタビューや座談会を誰が担当するかを決めなきゃいけない状況です。なるべくみんなで議論しながら決めたいのだけど、10人以上のメンバーがそんなに何度も集まってはいられないので、SNSで話合わさなきゃいけない。SNSでのコミュニケーションはそれぞれの身体的反応が見えないので、どこまで議論を共有できてるか不透明になります。僕は不透明さに不安になるタイプなので、スケジュール的に早く振ったほうがいい話も後回しにしたりします。よくないね!

 

こんなことを考えながらロカストの作業進めています。何も考えずに書きはじめたけど、何の深みもないただの状況説明と感情吐露だな。こんなん出していいんだろうか。