I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(23:00~24:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

曲が中盤を過ぎ、おおらかな音の膨らみが訪れる。果てが見えないほど開けた大地のような、途方もなく大きな空間に身を置いたような感覚。持続していく音には豊かな厚みがあって、途中には地響きのような低音の唸りが現れる。今までの圧倒の波はどちらかというと高音部を中心に押し寄せたけど、今回は低音の圧力を体に浴びた。氷の世界が溶けて、やがて暖かい広がりの中へ。音が細かく積み重なりながらも、鷹揚なフィーリングが溢れていく感じ。鋭さが強かったこの曲の中では異色の時間といってもいい。それとも、この後はこうした鷹揚さが曲の中心を担っていくのだろうか?

 

23:00 gの音のフィードバックが分厚く響く。同時に星をちらばめたようなキラキラ音も聞こえる。

23:08 左スピーカーから高音のcのフィードバックの響き。

23:09 右側から風のような音。

23:11 gの音がcに変わる。音程の不明瞭な低音の音圧がこの辺りでひたすら持続している

23:16 cがdに変化する。

23:26 dがeに変わる。このとき、低音でcがなっており、cとeの長調の組み合わせが穏やかな雰囲気を作り出す。

23:31 再びgへ。高音のdのフィードバックが重なってくる。

23:36 持続音がgからcに変わる。

23:40 いくつかのフィードバックサウンドが波状に積み重なる。

23:44 少し高い音でa#が右側から聞こえる。

23:46 地響きのような低音。曲中で一番ロウが強い印象。中音域はcからdへ。

23:50 キラキラした音と、高音域、中音域、低音域、それぞれの音域での持続音がバランス良く押し寄せてくる。圧迫感はあっても鋭さがない。体全体に心地よい圧がかかってくる感覚がある。

23:56 dがeに変化。g→c→d→eの流れがおよそ30秒のスパンで反復していることがわかる。

 

ちょうど30秒で二回のループがあり、なおかつ長調の明るい響きがあり、音域のバランスが取れた形での音量と音圧の上昇がある。この辺りが、おおらかなスケールの大きさ、広がる大地のイメージにつながっているのではないだろうか。(続く)

 

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LOCUST2号発売、そして三つの力について

僕が編集長をしている雑誌『LOCUST』の2号が5月6日の第28回文学フリマ東京にて発売されます。

 

 

bunfree.net

 

あらためて、LOCUST(ロカスト)とは何か。それは批評の言葉で作る、新しい旅行の本です。本の作り手たち(編集者、執筆者、デザイナーetc.)が直接その街・その場所に足を運び、互いに言葉を交わしあい、そこで感じたことを文章や写真などの表現に変えていきます。とても遠回りな、だからこそ様々な可能性に開かれた旅行ガイドです。

 

今回は八王子、福生奥多摩という三箇所をメインに、西東京の最果て、〈FAR WEST東京〉に足を運びました。東京という場所がどのように形成されたのか、「果て」とは僕らにとってどんな意味を持つのか。そんなことを考えさせる本ができました。論考のテーマは武蔵野、ユーミン天皇聖地巡礼アメリカ、民話、写真、モスラ、怪談と、バラエティ豊か。インタビューや写真ページも追加されて、より厚みのある内容になりました。

 

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ここで僕は、今後も刊行していくだろうこの「LOCUST」の持っている力はとはなにか、編集長として考えてみることにしました。まとまるかわかりませんが。

 

一つに、旅に行く感覚を読書から感じられる本であること。僕らが辿った行程を体験するような、読むことで体が動いているように感じるような、そんな本になっています。もちろん、読んだ後で、あるいは読みながら同じ場所に自分で行ってみるのも楽しみ方の一つでしょう。

 

二つに、日本の土地と歴史について再考する試みになっていること。二号作ってみて、僕たちは土地について調べるとどうしても、その土地と都市機能との関係について考えてしまうことに気づきました。そこから生まれた言葉は、「東京と地方」とか「都会と田舎」とかいう、わかりやすく便利に(故に多くの要素を切り捨てて)凝り固まった地理イメージを、脱臼して再定義することになる。だから、LOCUSTを読んだ人は、自分の住む場所について、改めて考えを巡らせることができる。自分が寄って立つ現在位置についての認識を、深めることができる。これは、いわゆる「旅行ガイド」にはない機能であり、「批評」の力があるからこそのものです。

 

そして三つに、今の世界における〈共同性〉、つまり僕らが「ともにいること」を考え実践するための本になっていることです。これは、バラバラになった孤独な人々が連帯するといった話ではありませんし、気の置ける仲間と旅に行くことを勧めているわけでももちろんない。個人それぞれが持つ「ともにある」感覚を、バラバラのまま呼び起こす。そんなことを考えています。

人口過多で、「全て」がネットワークで繋がってしまっている逃げ場のない世界の中で、僕らは生き残るために人から求められることを求めている。求められなければ、必要とされなければ、他者からの「承認」がなければ、生きている意味なんかない。そんな切迫した認識を植え付けられ、「誰からも欲されない」恐怖を追い払おうと必死になっている。そうした状況は非常にしんどく、見方によってはとても醜いものでもあるけれども、そこには必ず社会的な必然性があって、頭ごなしに否定しても仕方ない。ただ、「必要」や「承認」以外の関係で、他者と共にある手段はないか。僕らが「普通」に自分以外の人と付き合うことはできないのか。「イナゴの群れ」のように集団で旅行に行き、集団で本を作るというLOCUSTの方法は、今ありうる〈共同性〉を探るために採られています。旅程を共にし、言葉を交わすことで、それぞれの感覚が交換される。その交換はあくまで部分的なものであって、似たような問題意識を共有していても、書かれたものには大きなブレが生じる。例えば今号では、福生にて南島興が「地元を観光する」ことを考えている横で、灰街令は「飛行機のノイズ」に耳を済ましている。八王子にて伏見瞬がユーミンの音楽について思いを巡らす一方、渋革まろん武蔵野陵の墓の形にこだわり続ける。全員の思考がブレブレだが、ブレを可視化する形で、結果的に一つの形(「LOCUST」という本)となります。その本は一つの共同体を形成しているわけではない。ただ、個々が影響を与えあったという結果が、本の中で確認できるだけです。けれども、そこで確認されたものは、必要としあうという「依存」的な繋がりではく、交換が気づいたら生じているという「並存」的な繋がりです。並存を表現した印刷物が、多くの人の手に渡ることで、また新しい感覚の交換が生じる。LOCUSTは多くの人に認められることを目的としません。強固な共同体によって世界の暴力から身を守ることも目的としません。人々が交換の中で「並存」する〈共同性〉を、僕やあなたの中に呼び起こすことが、何よりの目的です。僕らが影響を与え合いながらもバラバラに生きることができるという、「承認」の繋がりが覆い隠している「普通」の実感を思い出させるために、この「イナゴの群れ」は存在するのです。

 

・・・気づいたら勢いに乗って書きなぐってました。僕が今LOCUSTに感じている良い予感のようなものを、なんとか言葉にしようと試みた結果です。いずれにせよ、LOCUSTの2号は5月6日に発売されます。

 

文学フリマの「ウ-37」ブース。お値段は1500円です。

 

LOCUSTの1号も一緒に出店します。ぜひ、お手に取っていただければと思います!

 

 

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作詞3

日記代わりに、作詞用に書いたものをちょくちょく載せていきます。

 

詞に歌や曲を乗せたいという殊勝な人がいれば是非試していただけるととてもとても嬉しいです。事前の断りは不要ですが、web等で発表する場合は事前にご連絡ください。

→伏見 瞬 sarai.nuh@gmail.com

 

タイトルは「狭い穴」です。もっといい言葉がある気もしますが、今のところはこれしかなさそう。あらゆる欲についての歌だと思います。

 

 

狭い穴に入ろうとする

広い野原で一人になって

狭い穴に入ろうとする

ここはあまりに寂しいから

 

アイツとアイツが手を組んで

アイツがアイツを馬鹿にして

アイツとアイツのシステムが

アイツのアイツを裏切って

狭い穴の中で

 

ぼくはそこまでいきたい

情と敬意を投げ捨てて

狭い穴に入り込もうと

君を置いていったまま

 

アイツがアイツを軽蔑し

アイツがアイツに笑いかけ

アイツとアイツのあいだでは

アイツもアイツもいなくなる

狭い穴の中で

 

狭い穴に入りたくないかい?

君もきっと願ってるはず

狭い穴が現れたなら

広い心をくしゃくしゃにして

すべて閉じ込めてみたくなるだろ?

 

隠れてないのにいなくなる

消えてないのにいなくなる

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(22:00~23:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

穏やかさがあり、どこか光を感じる時間。冬や氷の冷たさでもなく、亜熱帯の自然の気配でもない、柔和な光を受けて揺れている海のような印象がある。明確なメロディを帯びた厚いシンセの音が広がり、その間で曖昧な音の粒子が舞っていて、反射するきらめきのよう。ベルギーのアンビエント作家、Dolphins into The Futureの音楽が少し想起される。

 

 

Sleep Like It's Winterの、アンビエントとは呼び難い変化の多さをどう捉えればよいのか考えているのだけど、ある種の自然の模倣であるようにも思える。何も起きていないようで無数の変化があり、激しい動きもあれば、穏やかな揺蕩いの時間もある。どうしても感覚的に言葉にしていくとニューエイジ的自然志向と近い言葉遣いになってしまうのだが、「自然の模倣」であることは一つの解として成立する。フィールドレコーディングに頼らない、電子音による模倣。

 

22:01 厚みのあるシンセの単音がcを鳴らす。

22:03 dに変化する。

22:05 龍笛のようなキラキラが背後で鳴り続けている。

22:08 音が裏返るようにフィードバックする。

22:13 シンセがeの音に。同時に低音のシンセがaを鳴らす。

22:15 キラキラしたシンセの音(?)のトーンが一定のリズムで揺れている。

22:20 シンセがg、低音がcに変化する。そのまま伸びていく。

22:28 イルカの鳴き声のような音がかすかに。

22:36 揺れる龍笛ライクな音が少しずつ大きくなっていく。ほぼ同時にシンセがcの音に。

22:41 シンセがd,低音がgに。

22:45 柔らかい高音が小音で出入りする。

22:50 龍笛のおとが一定に揺れ続ける。

22:51 一定にシュワシュワいう音が左チャンネルよりに聞こえる。

22:57 輪郭を欠いた高音のオルガンのような音。エフェクター繋いでギターで弾いてる?同時にシンセがcを鳴らす。

22:58 低音シンセ。おそらくe?

 

同じような音階を行ったり来たりしている感じで、前に進んでいるのか、円環を描いているのかが未確定になる。そのような印象もある。曖昧な穏やかさは、このあたりの特徴に由来しているように思う。(続く)

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(21:00~22:00)

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膨れ上がった音の連鎖が静まり、瞑想めいた時間が始まる。その穏やかさは、どこかいたずらっ子めいた憎い可愛げも同時に宿している。妖精がくすくす笑いをしているような印象は、音楽的には全く異なるのだが、Smashing Pumpkinsの「Lily(My One And Only)」という小曲を思い出させる。いや、ほんとに全然違うんだけど、なぜか思い出す。

 

 

 

激しい何かが過ぎた後の凪のような穏やかさ。ここのパートを「穏やか」だと感じるということは、逆に今までを「激しい」と感じていたのだろう。この曲は本当に、睡眠導入剤としてのアンビエントとは程遠い。ただ、覚醒したまま、夢の中を探索しているような気持ちになる。そういう意味では「サイケデリック」という言葉が似合いそうだが、そう呼ぶとこの曲に宿る峻厳さを撮り損なってしまう気がする。激しく、冷たく、ブッとんでいて、険しい。しかし、全体像としては、まさしくアンビエントミュージックと呼ばざるを得ない音像になっている。この掴み所のなさは、1分ずつ聴いて、22分経ったところでもあまり変わっていないようだ。

 

21:00~21:05 フィードバック音などの重なりがどんどん収縮していく。

21:10~21:15 「デジタル龍笛」と前回形容した雅楽っぽいサウンドを中心に、もう一度少し膨らむ

21:23 全体的に音がフェイドアウト。代わりに高いフィードバック音が現れる。おそらく基音はe。

21:28 シンセキーボードっぽいcの音が入ってくる。

21:32 ギターを感じる中音域のフィードバック。基音はd。

21:35~ 音が落ち着いていき、風のようなノイズが目立ち出す。

21:44 低音のシンセ。おそらくc音だが、倍音が強くて判別しにくい。ほぼ同時にeの中音域フィードバック。

21:52 gのフィードバック。笛っぽいサウンド

21:59 gの音がcに変わる。

 

おそらく穏やかさは音の質感だけでなく、cやgが目立つ音程にもよるものだろう。シンプルで協和的な音程使いが、安心感を曲に与えていることがわかる。この後には何がくるか。実際は最後まで何回も聴いているのだが、細かいところは本当に予想がついていない。(続く)

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(20:00~21:00)/

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おぉ、とても気持ちいい・・・。

フィードバックの連鎖が戻ってきた。意識に襲いかかるようなサウンド復権。時々、寝ようとしている時に頭の中でツーンという音が鳴って広がったと思ったら一瞬で消えるみたいな体験をすることがあって、この曲の音はその時の感覚に非常に近しい。外側のわかりやすい影響から来るサイケデリアではなく、内側から襲いかかってくるサイケデリア。「冬のように眠る」というのは、惰眠をむさぼるというよりも、内側からの他者と遭遇する体験を意味している気がしてきた。

 

20:01 右側から、小さい音でフィードバック音が聞こえ出す。fの音。

20:09 左から先ほどより音量が大きく、音程が低いa音のフィードバック。蒸気の沸騰を想起させる。

20:12 真ん中でさらにフィードバック。これはc音か。

20:21 fのフィードバック。先ほど鳴っていたのと近い音だが、音量は大きくなっているか。

20:27 音量が上がったり下がったりで「ホワンホワン」聞こえるフィードバックがどんどん大きくなってくる。

20:37 c音のフィードバック。さらにもっと甲高いフィードバックが聞こえてくる。このあたりから幾重にも音が重ねられて、区別がつかなくなる。

20:42 低めのdの持続音が気づいたら鳴っている。右チャンネルから雅楽龍笛をデジタル化したような甲高い音がこのあたりから聞こえ出す。

20:47 音程化できない風のようなノイズも鳴り出す。

20:51 真ん中あたりでワウワウいうaのシンセがどんどん大きくなり、デジタル竜笛も大きくなり、狂騒の趣き。

20:53 aのワウワウに触発されるように、d音のワウワウも聞こえ出す。

 

後半に進むに従い音の種類も増えていき、騒がしいが緊張感もあり、荘厳だが街のノイズも思わせる、非常に複雑な様相を見せ始める。ワウワウいう音は警報のようで不安感を募らせつつ、同時にとても気持ちいい。この曲の中でも、かなり美しい1分間なのではないだろうか。(続く)

 

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Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(19:00~20:00)

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フィールドレコーディングされたと思われる鳥や虫の声が2分ほど続いてきた。この1分間でも音の構成要素は大きく変わってはいないが、音が少しずつ大きくなっていく。途中雪崩のような轟きが現れ、熱帯感すら漂っていた空間に、冬の冷たさが徐々に戻ってきているのを感じる。

 

19:01 左チャンネルからキイキイ響くノイジーな鳥の鳴き声。断続的に聞こえてくる。

19:07 「フワァ」という輪郭のないfのシンセ音が持続してなっている(この前から鳴っているようだが、目立ってくるのはこの時間あたり)

19:10 小鳥の鳴き声を電気機械で再現したかのような、柔らかいが人工的、かつ輪郭のない音が聞こえている。この音は1分間ほぼなりっぱなしのようである。

19:16~ 甲高い電子音のヴォリュームがグワッと押し寄せる。ほぼ同時に、雪崩のような、もしくは強風のような音のまとまりも聞こえてくる。

19:25 「チュパ」っという可愛らしいノイズ。これは小鳥の声か、機械の音か。微妙なところ。

19:30〜 チリチリいうノイズが存在感を増す。おそらくラジオから出ている音ではないか。

19:37 フィードバックノイズ風の高音。このあたりで、一度音が静まる前に戻ってきているような印象を受ける。

19:50 轟きがさらに大きくなり、不吉なものが近づいている時の不安感。

19:51 左からフィードバックギターの音?aの音程で聞こえる。

19:59 「ギシっ」というノイズがかなりはっきりと聞こえる。

 

この1分間の前半と後半では、やはりだいぶ印象が変わっている。柔らかい自然界の感触が伝わってきた前半が、少しずつ、人工的な電子音のイメージに塗り替えられていく。断続的に聞こえていた鳥の声も、大きくなってきたシンセのサウンドやノイズにかき消されてきている。ここから、音は元の冷たいサウンドスケープに回帰していくのか。それとも、また別の雰囲気をまとい始めるのか。(続く)

 

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