I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

最近のこと(地点とDOMMUNEの感想)

5/28

仕事終わり、地点『シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!』を観に行く。

チェーホフの短編小説や書簡の断片で構成された上演。安部聡子さんの靴についた鈴が「シャリン、シャリン」とリズムを刻み続けるからか、音楽として体を揺らして体験していた。反復横跳び、ダッシュして舞台装置にぶつかるなどの反復要素がいくつか絡みあう舞台は地点の上演でよく観られるものだが、この反復を断ち切るものが必ずあって、快楽と同時に不快さがつきまとう曖昧な感じをかみしめる。舞台装置と照明の変化が素晴らしい。

DOMMUNEに出ることになったのが急遽の決定だったので、終演後に三浦さんたちと打ち合わせ、を兼ねて飲み会に少し参加。

 

5/29

仕事中、他人の不手際で時間を奪われる事案が発生。その時が苛立ったが、今はその人の情けなさを思い出して少しほっこりする。いや、やっぱり苛立つけど、あのおじさん。

夜はDOMMUNE。宇川さんと批評再生塾の最終講評会以来の再会。

司会に徹したけれど、どうだっただろうか。二時間のトークはほぼ初体験だったので、よくわからない。あまり酷くはなかったと思いたいけど。

三浦さんの話はとても面白かった。戯曲と演出を兼ねる人がほとんどという(世界的には珍しい)日本の小演劇の特徴は大学のサークルとの連続から来ている、演劇専門の学校からは俳優ばかりが生まれるという構造の話。「喜劇」という点においてライバルは吉本新喜劇だという話。興味深い話が多数多数。劇団でのレパートリーシステムの確立の話は、あらゆる集団の持続性を考える上でとても刺激になる(僕は東浩紀の「家族」概念を思い浮かべていた)。

観てくれた方々、ありがとうございました。

 

f:id:d_j_salinger:20190602121655j:image

f:id:d_j_salinger:20190602121700j:image

 

 

 

今日はこちらのイベントにトークゲストとして出演します。

 

scool.jp

 

家具の音楽」や「アンビエント」をどう活かしていくかは僕が考えていることの大きな部分なので、今日はとても楽しみですね。期待が高いと落ち込むことはよくあるので、あまり落ち込んだりしないようにがんばろ。

 

 

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(28:00~29:00)'

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

予兆のような一分間。この世のものと思えないような何者かの声が囁く(その声の主を「天使」とでも形容したくなるけど、流石に陳腐にしか感じれらない)。声は優しい。だけど今にも暴走して全てを壊すような不安も感じさせる。ただのシンセサイザーの音であろう音が恍惚と恐怖をもたらす。ここからまた次の「何か」がやってくる。そんな予感がひしひしと伝わる。そんな時間。

 

28:00 高いfの音の囁き。

28:06 オクターブ下のfへ変化。同時に強調された倍音としてcが聞こえる。

28:13 gに変化。

28:19 aが基音の、厚みを帯びた(同時に少し神経質な印象のある)シンセの持続音が響く

28:20 ローズピアノっぽいサウンドでc,a,f(と思われる)のアルペジオが素早く鳴らされる

28:25 囁き。eの音。

28:28 囁きに呼応するかのようにdのシンセが広がる。

28:30 囁きがfに変化して、解決感が出る。6秒ほど持続。

28:38 少し低いシンセでdとd#の音。不穏な感じ。

28:42 fのシンセも混じっている。

28:45 右側からはcの音が聞こえる。シンセが厚みを増して、存在感が強くなる。

28:49 少しギラついた高い音が一瞬現れて彩りを与える。

28:55 eの囁き。

28:59 bの音からcの音へ変化(あるいは別の音が重なってる?ちょっと不明瞭)。

 

同じ音、例えば囁きを連想する音がeで鳴らされる瞬間が(おそらく)二回、この一分間にはあるけれど、他になっている音が全く異なるため、反復しているとはほとんど感じない。緩やかに繰り返されている、だがどこか違う。何かが変わっている。この微細な「違い」の認識が、僕に44分23秒の曲を1分ずつ聴くという偏執的な行為に向かわせたんだろう。そして、この変化はわかりやすいドラマツルギーを持っていない。「起承転結」とか、弁証法(正→反→合)みたいな展開はない。ではこの変化はなんなのか。最後まで聴いたところで、構造的な振り返りをしたいなとなんとなく考えている。(つづく)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(27:00~28:00)'

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

この辺まだまだ穏やかで優しい感じだけど、水中にいるようなサウンドが現れて、また少し違う展開を見せている。微細な変化がとても楽しい。しかし、じっくり分解して聴くのだけでも相当に体力がいるから、聴きながら作り上げるのは本当に感覚の鋭さと集中力と精神力を要するなと思う。手抜きのなさにビビる。

 

27:01 gの音のシンセが上昇する。ギラギラした音色。

27:07 いくつかの持続音が重なる。aの後にdの変化が目立つが、細かく音が連なっている。

27:12 dのシンセ音。これもギラギラしてる。その間に輪郭のはっきりしない高音が聞こえたり隠れたり。

27:17 「ぶくぶく」という効果音。泡みたい。

27:20 「ぼわぁん」という新しい音。ファミコンの効果音で使われてそうと感じる。

27:25 細い鳴き声のようなシンセが左チャンネルから。eの音。

27:28 「ぶくぶくぶく」が小音量で。

27:30 細いシンセがeからfへ

27:33 龍笛のようなサウンドが右から一瞬現れる。

27:36 微かにぶくぶくいってる

27:38 真ん中からgのシンセが少し膨れる。

27:44 中音域で小音量でgとdの音。

27:46 高音の細いシンセがaの音。

27:49 低く柔らかいgの音。マリンバの響きを持続させた音、という連想が浮かんだ。

27:52 dのシンセがワウを掛けたかのように揺れる。

27:55 鳴き声(ちょっとイルカみたい)のようなシンセがeで。

27:59 右からピアノっぽい音。Am7のコードを弾いているような気が・・・

 

このあたりの柔らかさは高音がキーンとせず、かつ低音が重くならず、という高低双方が主張を抑えていることに由来していると見える。それにしても、シンセの一音一音が気持ちよく、快楽のない音が一音もない。音のバリエーションも実はそこそこ多いのに。どういう感性と論理で音の一つ一つを選んでみるのか、本人に聞いてみたくなった。(つづく)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

雑感190526

休日の朝に無駄なことをしてしまうと、不快さを忘れるのに時間がかかる。人に会うと救われる。

 

新宿で美味しい小籠包を食べた。皮と肉と汁が一個の物体として収まっている。「確かに食べ物を食べた」という実感が湧く。自分が頑張って作ったものが世界に存在する必要がないんじゃないかと感じる時がある。度々ある。小籠包だって世界に存在しなくても困らないのに素晴らしんだから、そんなことを気にする必要はないのだ。僕の感覚は時々とても馬鹿なのだ。

 

 

 

なんの過不足も感じない鉄壁のアルバムを久しぶりに聴く。ジオメトリコのファースト。メロディは皆無。リズムだけ。全ての音が凶器を想起させる。ハンマー、剣、ピストル、兵隊の行進。音楽は根本的に暴力で、だから蠱惑的であるということを何度も思い出そうと思う。音楽を平和と結びつける感性を、信用できない。平和は音楽の目的ではない。

 

aesthetical.bandcamp.com

 

李氏さんがツイートしていたフランスのFranck Vigrouxの新作も情感を排除した暴力の徹底で、そこにしかロマンスは宿らない。痴話喧嘩も投稿写真も余計だ。ロマンティシズムも暴力だから。クロノスタシスグランド・フィナーレの響きが愛だ。

 

暴力繋がりというわけでもないけど、アガサ・クリスティの定番『オリエント急行殺人事件』を読んで、本当に小説が上手い人が存在するんだなと思った。国際政治の力学が作品を支えているのが興味深いと思う。

 

テレビのバラエティ番組が恐ろしいということを昨日考えていた。というか昔からずっと考えていること。幼少時に、バラエティ番組で面白いことをやっている人たちが「普通の人たち」だと感じていた。映像と音声でしか確認したことない人物を近しい存在だと認識した。僕の生はそこでかなり間違っていて、おそらくとても多くの人が同じ間違いの中にいる。総理大臣と会食する人を身近に感じたりする。ポストトゥルースはテレビの中にずっとあった。僕が5年以上テレビなしで過ごしているのは、かなり強い選択の意思が働いているからなんだろう。テレビの強烈な磁場をどうにかできるとも思わないのだけど、自分の病は分析するべきなんじゃないかと考えている。ロロの三浦直之はテレビとののっぴきならぬ距離感を肯定的に演劇で描いているけど、僕は否定的に描きたい。

 

とある演劇の作り手が稽古場で何を行なっているかという話をしてくれた。「多様だ」と「これしかない」をどちらも肯定しなくてはいけない。編集長をやっている自分にも響く話があった。

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(26:00~27:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

穏やかかつ快楽的な音が流れていくわけだけど、この辺り少しボーズオブカナダを思いだしますね。ミクソリディアンスケールをベースにした和音感覚と、ファットなシンセのサウンドが。ビートと声のサンプリングを抜いた『Geogaddi』。

music.apple.com


前半は、宇宙・銀河的なイメージを思い起こさせるシンセサウンドが中心。後半は比較的に、低音域の音が存在感を増している時間だという感じがする。低い音の穏やかな持続。イメージとしては、牛や象のような大型の草食哺乳類を連想する。少し抑えめの高音部は虫の群れを想起ささせるし、どこか「牧場的」な時空間となっている。

 

26:00 虫の鳴き声のような高音のシンセ。左チャンネルよりにfの音。

26:03 右チャンネルから「フワンっ」という音が一瞬迫り上がる

26:05 コズミックなシンセが細かくアルペジオを奏でる(f→d→fの動きに聞こえる)

26:07 虫の鳴き声のようなシンセ音がaに変化している。先ほどより音が細い印象。低音域ではd#の音が薄く聞こえる。

26:10 高音の倍音の強い持続音gが鳴り、そこに同系統の音aが重なって、空間を広く埋める。ここから10秒ほど、この音が断続的に空間を埋めては消える。

26:14 中音域では輪郭の曖昧なcの音が広がっている。

26:16 26:05に鳴っていたのとおそらく同じ音質のコズミックなシンセがより存在感を増して響く

26:18 低音でfの音

26:22 高音部がキラキラなる中で、gの音の厚みのあるシンセが中音域に現れる

26:26 低音でd#の音

26:31 音圧の高いaの高音がべったりと塗られる

26:33 左寄りに高音の細かい機械的アルペジオ、右寄りにaのロングトーン。真ん中から薄くオーケストラを模したサウンドのシンセが響いているように聞こえる(おそらくg)。低音でfの音。

26:38 厚みのある中音域のシンセがa#で。低音域でこちらも分厚いcのシンセも。

26:41 低音と中音の間で、fの持続音がフィードバックを起こしたかのように増幅する

26:45 高音のgが中心のシンセが聞こえるが、少し音量は控えめ。

26:51 gの音が広がる。フィードバックギターによるものか?右から別のgの音(細くキラキラしている)が継続的にきこえる。

26:56 低音でa#の音。

26:59 低音がd#に変化する。 

 

低音でd#が何度か登場する。基音がfになっているように聞こえるし、この辺りは、どうやらfのミクソリディアンスケール(f,g,a,a#,c,d,d#)で音程が規定されている。僕は、この曲をcのミクソリディアンだと認識していたけど、どこかで転調しているようだ。ただ、cのミクソリディアンとfのミクソリディアンでは構成音が一音しか違わないため(eとd#)、シームレスに転調できるのかもしれない。曲構造の変化が気づかないうちに行われているようだ。和音の全体的な変化がどのようになっているか気になるので、最後まで聴いたら改めて確認してみたい(つづく)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを一分ずつ聴く(25:00~26:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

中音域のシンセの持続音が重なっては消え、豊かな流れを作り出す。おそらくギターのフィードバックでかたちづくられていた甲高い音が薄れていることが、このあたりの時間帯の暖かさ、季節でいえば春を連想する理由だろう。「Sleep Like It's Winter」というタイトルとは裏腹な、目覚めを思わせるサウンドが続いていく。

 

25:00 中音域のシンセのf音に、低音域シンセのd#が重なる

25:06 低音シンセがa#→cと動く

25:11 高音でオルガンのようなcの音が鳴って、花が開きようなイメージ。高音域の倍音が強い。

25:19 四つほどのキラキラした音が、左右左右と交互に連鎖する。cの音が中心。

25:24 中音域fから低音域d#が連続するパターンが再び現れる

25:28 虫の鳴き声を連想する少しか細いa#のシンセ。やや右チャンネルより?

25:30 やわらかく高いシンセのf音が左側から。

25:35 低音と中音の間くらいでa#のシンセが伸びる。

25:40 ぴろぴろ~と擬音化したくなる高いシンセの音が何度か響く

25:46 三たびfからd#への動き。

25:50 小さいシンセ音が急に広がる(SUPERCAR「YUMEGIWA LAST BOY」のイントロに似たようなサウンドがあったような)

25:54 右から少しノイジーなaのシンセ音

26:00 30秒前になったのと同じ、柔らかく高いfのシンセ音が左側から響く

 

f→d#というルート(根音)の変更がおよそ21~22秒ごとに反復されていることがわかる。目立たない反復がありつつ、高音部はその反復に同調していない。常に変化が起こっているように聴くものは感じる。「気づかない反復」は、曲を構造的に見ていくともっと気づくかもしれない(この辺りは最後まで聴き終わった後に検討してみたい)

細かく聴いていくと、後半はまた少し冷たい感触がもどりつつあると感じる。サウンドに高音の倍音が増して、「耳キーン」感が強まったからか。ここから先、再び冬の冷たさが曲中に回帰するのだろうか。(つづく)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

Jim O'rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(24:00~25:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

暖かい時間が続く。直近の1分間がロングショットで大地を広く映すような映像だったとしたら、この1分間はカメラがクローズアップになり、陽射しを受けた土や水の反射を接近して撮っている。映像とのパラフレーズで、音の変化の印象を表すことができるだろう。

一つ一つの音がプリズムの明滅のように、キラキラとしたイメージを作り出す。雄壮さから可愛らしさへ。大人から子供が生まれるような感じもある。低音が少しおとなしくなるから、そのような印象ができるのかもしれない。

 

24:00(正確には23:59あたりから) キラキラしたシンセ音の連続が現れる。

24:03 低音でcのシンセ、中音域でgのフィードバック。

24:09 スピーカーの真ん中あたりでキーンとした響きの音が一瞬現れる(個人的に好きな音)。

24:10 低音域がg、中音域がcに変わる。低音と中音の音程が入れ替わっている。

24:16 低音がa#、中音がdに

24:19 キラキラした音が現れて、a#とdの音の中間にfの音の太いシンセの持続音が登場する。この三音でa#のメジャーコードになる。

24:21 低音がa#からdに変わっている?ちょっと不明瞭。

24:25〜 低音が収まり、少し音が軽くなる印象

24:27 高い音のdのフィードバック。呼応するかのようにキラキラしたシンセ音がなる。

24:32 左チャンネルからやかん沸騰を連想させる高いfの持続音。右からは龍笛のような音が現れたり消えたりを何度か繰り返す。

24:39 fの音がa#に変わる。

24:44 右からfのフィードバック。この辺りがいくつかの持続音の洪水が起きる。

24:50 高いgの音の音量が上昇してきて、そこから細かく点滅するようなキラキラした響きに変化する。 

24:55 中音域の太めのシンセがfで。

24:58 fの音がgに切り替わる。

 

cのミクソリディアンスケール(c,d,e,f,g,a,a#の七音)で構成されていることが音を取るとわかる。

しかし、このあたりの音の説明で何度も「キラキラ」という擬音語を使ってしまうのだが、この音はどうやって構成されているのだろう?おそらく、音が一瞬のうちに現れたり消えたりを何度も繰り返すことで(光の点滅と同じ認知様式で)「キラキラ」と感じてしまうのだと思うけど。あと。こうした音の音程が取れないのも謎なのである。僕の耳が悪いだけだろうか?この辺りのことはじっくり考えてみたいし、自分で機械をいじって似たような音を出して研究したくもなる。とりあえず、ここでは先に進むことにする。(つづく)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain