I was only joking

音楽・文学・映画・演劇など。アボカドベイビー。

「男らしさ」に縛られないための男の子のバンド5選

英文学研究者でフェミニズム視点からの批評を多く書いている北村紗衣さんの「男らしさ」に関する記事を読んだ。

 

gendai.ismedia.jp

 

この記事の白眉はレッド・ツェッペリンの話から始まるところで、「男らしさ」への懐疑を歌っているバンドが一番「男らしさ」に縛られているという不思議な(だが世の中によくある)逆説が冒頭に語られている。

 

 

www.youtube.com

 

記事の内容に関する応答というほど大した話でもないのだが、思ったのは「自分が好きなバンドで「男らしさ」に縛られているバンドほとんどいなくないか?」ということでした。

僕は中高一貫の男子校出身で、その間に「男らしさ」と「ホモソーシャル」に対する嫌悪が深く根付いてしまった。ツェッペリンだけじゃなく、70年代までのロックバンドが全般的に苦手だったのは多分そのせいだ。同じ理由で、ヒップホップのアクトも心の底から夢中にはなれなかったりする。好きな人も曲もいるけれど。

(ちなみに60年代のバンドで例外的にずっと好きなのはVelvet Undergroundで、60〜70年代では極めて珍しいドラムが女性のバンドだった。モーリン・タッカーさんは神だ。)

 

そんな私は、「男らしさ」を感じない「男の子のバンド」を聴き続けてきた。今回はそこから5つのバンドを勢いで紹介したいと思いたった。今から紹介するバンドのおかげで僕は「男らしさ」を躊躇なく拒むことができているのだろう。眠いし時間もないので紹介は適当だ。あと、昔から好きなバンドばかりあげているので恥ずかしい。

(書き始めるんじゃなかったと思い始めているけど、始まったものは仕方ない。)

 

1.

一つ目。85年のスコットランドグラスゴー。カッコつけているし音はうるさいのに言葉は「君は僕を笑い者にする」っていういじめられっ子の歌で、大事なのはそれでもひたすらカッコいいこと。当時のドラムはボビー・ギレスピーで、ボビーはプライマル・スクリームよりもメリーチェインにいた時の方がはるかに輝いている。 

ツェッペリンとは異なる暴力性を身につけたのも重要。ロックンロールのカッコよさや暴力性を「男らしさ」とは別の形で定義したのが彼らです。1:06~からのクソ簡単なギターソロが最高。

 

www.youtube.com

 

2.  

変なバンドだったんだなと今は思うけど、デビュー当時はカッコよさの塊でしかなかったストロークス。これも「一人なら立てるけど二人だと共倒れ」「頑張らなくていいように頑張ってるよ」などのゴミ人間の歌詞を連発し、しかもそれがカッコよかった。軽快でポップなのに不機嫌で、音は違うけどメリーチェインの後継者だった。 彼らの軽快さはレディオヘッドから影響を受けて登場したMuseColdplayの暗さ、あるいは当時北米でめちゃ売れていたLimp BizkitKornのヘヴィさに対するカウンターだった。

 

www.youtube.com

 

3. 

1985年のグラスゴーのJesus And Mary Chain、2001年のニューヨークのThe Strokesとくると、その次は2011年のコペンハーゲンのIceageしかない。ここには確実にひとつなぎの流れがある。

ハードコアにインダストリアルとNick Caveを取り入れてマッチョイズムを殺しにかかる様はカッコよすぎて俺は嫉妬しまくってた。ボーカルのEliasがレーベルPosh Isolation主催のRokeとやってた電子音楽バンドVår(ウォー)も重要な存在。

 

 

www.youtube.com

 

4.

Iceageとほぼ同期のブルックリンのBeach Fossilsも輝きがあって特に2013年の2nd『Clash The Truth』は最高だった。なんてたってタイトルが。「真実を壊せ」って僕も思うよ。本当のことを言い続けてたら、フェイクニュースと変わらなくなるよ。

リヴァーブのかかったギターとボーカルでふんわりした雰囲気を作るギターポップをやるバンドがみんなオタクでナードっぽくなってた時期に、フォッシルズはいじけることなくスタイルと美学を表現することに徹底していた。ナードであることが「男らしくなれない人間の男らしさ」を表していた時に、彼らはそれを拒否した。ドラムの音の無骨な鳴り方で彼らのスタイルがよくわかる。

この時までギターがDiiv(ダイブ)のZachary Cole Smithで、Diivももちろん大好きなんだけど、フォッシルズはもっとカッコ良いと思われてもいいと思うな。演奏下手なのもいい。すごく上手に下手だな。ColeがDiivやりながらBeach Fossils続けてたらもっとカッコよかったけど。

 

 

www.youtube.com

 

5.

最後です。今ならロンドンにBlack Midiがいるけど、その一つ上の世代のFat White Familyが偉いと思う。このバンドの音は男臭くもある。だけど絶妙な冷たさがそこにあるから偉い。今年でたアルバムもめっちゃいい。ズブズブのサイケロックのポリティカルでもコレクトでもないアンチマッチョな現在。

 

www.youtube.com

 

f:id:d_j_salinger:20190809011102j:plain

 

紹介したバンドは時代も場所もバラバラだけど繋がりがあって、その1つが「男らしさ」の拒否、もしくは無視。挙げたバンドのジャンルはすべて「インディ」「インディロック」に括られるだろうが、「インディ」という言葉は「independent」(独立性)の称揚である以上に「マッチョイズムなきロック」の総称として定義できる。

あとは服装とスタイルがカッコいいところと演奏が下手なところも共通してますね。演奏下手なのが気にならないところも一緒。「カッコいい」という言葉を今回馬鹿みたいに連呼しているけど、「男らしさ」がなくてもカッコよくなれるということを証明したのがメリーチェインやストロークスだってことですね。結果的にですが、今回はサウンドに暴力的なところのあるバンドばかりを選びました。「男性性」と「暴力性」を切り離して表現したのも彼らの特徴です。というか、「男らしさ」のない男の子のバンドはまだまだたくさんいるけど、暴力性をマチズム抜きで再定義したから彼らは特別なんだと思う。

 

正直僕は男らしくあらねばと思ったことがなく、自分の男らしさに悩んだことがない(他人のやつに困らされたことはある)ので、「男らしさ」からの抜け出し方はよくわからない。けれど、このあたりの音楽がロックバンドでありつつロックバンドのアンチとして登場してきたのは間違いないし、そこに「男らしさ」のない「男」の良さを知るヒントがあるかもしれない。今まとめて聴いてみるのはアリだ。メランコリックなノスタルジーじゃない聴き方ができそうだから。

上にあげた全部が自分と同化させて聴いてきたバンドなので、自分で自分のことを褒めているみたいで気持ち悪い。自分を褒めるのは全然いいけど、他のものをダシにして褒めるのは気持ち悪くないか?どうなんだ?とりあえず全部最高なので聴いてみてください。

 

これで5つですが、ついでに日本で「男らしさ」のない男のバンド。定番中の定番だし、本当に多くの男性を救ってきたので今更紹介するまでもない気がしますが。ヴィデオはこの曲が一番好きなので、僕の好きなものを観てください。

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(38:00~39:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

穏やかな時間は続く。メロディがないわけではないが、森の中で木々が風に揺れているのを聞いているような感覚を覚える。

 

38:01 倍音の少ないサイン波を思わせる音が伸びていく

38:06 右側から低音の音の膜が押し寄せるよう

38:11 fのシンセ。長調の印象。

38:15 輪郭を感じさせないd#の音。ちょっとおどけたメロディーに聞こえる。

38:18 a#のシンセ。何度も何度も登場する音だが今回は音量が控えめ。

38:23 右から低音のgの音。

38:30 fからa#への移動。再三登場するメロディの動き。

38:33 f→a#がエコーするかのように小音量で繰り返される。

38:38 伸びた音が一度途切れてからd#のシンセ。

38:43 左よりに音階の曖昧な音。森のざわめきのよう。

38:48 低音のfが押し寄せる。

38:53 低音がaに変化する(かな?ちょっと微妙)

38:57 高音のざわめきがわさわさ。

 

音が新しく現れても、音量や倍音が強調されるわけでもなく、慎ましく小音量で持続する。 f→a#の繰り返しも強い印象を残すことなく、淡々と反復されている。分解して聞かないと反復にも気づかないくらい。ぼんやりした中に溶け込んでいくような時が直実にすぎていく(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

映画『新聞記者』には骨がない

『新聞記者』という映画がストレートな現政権批判を行なっていてなかなか面白いという噂だったので、映画館で観てみました。

 

shimbunkisha.jp

 

結論を言うと、全く面白くなくて、非常に辛かった。

 

理由は主に三点にまとめられます。(ネタバレしてます)

 

・とにかく映像の作りに快楽がない。

顔アップだらけで情動過多、光/闇の象徴的な対比以外何も伝わってこない情報過少。編集室でシム・ウンギュンを追いかけるカメラの不安定さと橋・携帯電話の連携シーン以外に見るべき撮影や編集がないし、細部の反復や積み重ねがドラマを形成するわけでもない。カット割りすぎで運動性はないし、カットでテンポを生むこともしていない。本当につまらない画作りなのである。後半の、新聞の輪転機の動きと人の動きを活かす撮り方とかもっとありそうなものだが・・・。

さて、映画特有の楽しみがないとなると、ストーリーを追いかけるしかないわけですが・・・

 

・話に意外性や発見がない。主人公たちの行動が幼稚でしんどい。

この映画の登場人物たちは「羊の絵の書かれた文書」の謎を解くというミッションを追っているわけだが、この文書に関する謎があまりに想定通りで意外性が全くなく、驚きも全くなく、ドラマとしての快楽も皆無。「お、そうくるか」というひらめきがないのに「謎」を作ること自体が「謎」である。

もっときついのが人物造形で、松坂桃李演じる若手官僚とシム・ウンギュン演じる新聞記者が本作の主人公なのだが、この二人が幼稚なほどに直情的。駆け引きの一切ない直接的な質問しかできないし、その直情さが何の効果を生み出すわけでもない。いきなり「大学で生物兵器を作るんですか?」と聞かれて良い回答が得られるわけもないし、内心を隠さずいちいち上司につっかかってたら向こうが先に対策を練っちゃうだろ。そもそも相手側が有利なのに。本当にやることなすこと戦略がないのである。(完全にネタバレだけど)先輩の部屋にあった文書を発見するまでに時間かかりすぎだし、そのあとの公表も無策。根性とトラウマだけで頑張ってもそりゃ失敗するに決まってます。

映像の喜びがない状態で、何の術もなく反抗する幼稚官僚男の身勝手さと鈍重な取材とツイートを繰り返す新聞記者の無神経ぶりに付き合わされる。この時点で相当この映画が嫌いなのだけど、ダメ押しがあった。

 

・男に都合の良すぎる脚本の連続。

「男は仕事をする、女はそれに立ち入らない」という凝り固まった価値観が二つの家庭を支配している。主人公の家庭と、主人公の自殺した元上司の家庭はともに「男の仕事には口を出さない」と言う価値観を身につけていて、結果的に重要文書の発見はそれで遅れている。(上司の妻役の西田尚美の泣き演技にはかなり冷めるものがある)

さらに、松坂とシムの初顔合わせシーンでは、シムに助けられたにも関わらず松坂は「きみ」と呼び捨てで高圧的に声をかけ、最後までその関係性を問題視する描写はない。松坂は終始苦悩しつつ偉そうである。

加えて、松坂は本田翼演じる妊娠中の妻が破水して大変な時に連絡に気づかず、そのことを悔やむのだが、だからと言って彼に何らかの罰が与えられるわけでもない。仕事の悩みも妻への申し訳なさも口にできない弱り切った夫に対して出産直後の美しい妻が無条件で「大丈夫だよ」という許しを与える。夫婦の関係はこれで一件落着のご様子である。夫は赤ん坊を気にかけず、引き続き仕事だけに集中すればいいようだ。

このように、複数の点で厚顔無恥な男に都合の良すぎる脚本の連続なわけです。セカンドレイプやセクハラを題材の一部にしているのに、ここまでフェミニスティックな視点に欠けているって片手落ちもいいところじゃないか?家父長的価値観の押し付けを無意識にやっているところを、政権批判映画としてこの映画を褒めている人はどのように考えているのだろうか?

 

と言うわけで、映像はダメ、人物造形もできてない、しかも男尊女卑的な表現が連発というわけで僕は完全にダメでした。この映画を製作するのにどんな大変さがあったかは知らないが、いくら体制批判をしたところでセンスのかけらもない映画に同情の余地はない。骨のある映画と聞いていたのに、あまりにスカスカでマジにがっかりした。
ただ、多くを語らない田中哲司の顔に軽率で顔色のかわりやすい松坂桃李が負けるアイロニカルな顔面映画として観るならおもしろいのかもしれない。しかし、勇壮な音楽とスローモーションは鑑賞の多様性を許さないようです。だったらもうしょうがない。こういう映画こそ表現の力を舐めていると断言せざるを得ない。

 

あまり批判的なことを言っても仕方ないしカッコ悪いとも思ったんですが、褒めている人が多すぎてドン引きだったのでバランス取りたくなってしまいました。

 

f:id:d_j_salinger:20190806003207j:plain

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(37:00~38:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

37:00 a#の鍵盤が薄く引き延ばされる

37:03 低音のg。短調の印象。

37:05 風の音のような「コォーコォー」という音が規則的に聞こえる。

37:10 右チャンネルだけ音が途切れて微かにcの音が響く

37:12 ザラザラとした小さいノイズ

37:14 d#の低音

37:15~ また風のような音が響く。途中少しだけ音が大きくなる

37:19 右側からcを基音とした薄い音の膜が聞こえる

37:22 薄い音が伸びる中、真ん中あたりで小さく「キーン」という高音が聞こえる。冷たいアイスが頭に染みた時の感じ。

37:25 a#の鍵盤、37:00の時と同じ音。真ん中でフィールドレコーディングと思われる具体音が聞こえる。この音は37:30でスパッと途切れる。

37:30 左寄りに低音のgと高音のcがほぼ同時に鳴り出す。

37:33 a#の鍵盤が伸びると同時に、「キーン」という響きが持続する。音が少しづつ左寄りになる。

37:38 虫の声のような音が聞こえる。a#の音が一度消えて再び現れる。

37:40 ボワーンとした音の層。fの音が聞こえる。

37:46 鍵盤でfの音。

37:48 fからgの動き。

37:51 ほとんど音階のない音の群れだがd#に聞こえる音。

37:53 輪郭の薄いa#の音が広がる。

37:58 a#の音が広がりつつ少し揺れる。

 

a#の鍵盤の音が支配的で、その間を音階感の薄い小さなノイズが埋めていく。ミニマムな時間の流れだけど、37:46~48のfからgへ音が動くのは珍しい。fからa#への動きが何度も反復されていたから、gが加わることで音の色彩が微かに増した印象を持つ。その後、a#の音に何も加算されないまましばらく持続するあたり、足し算引き算のバランスを取っているのかもしれない。何れにせよ、後半は前半〜中盤に比べてかなり穏やかに音が推移しているのは間違いない。(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(36:00~37:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

昏い場所へ沈みこむような印象を覚える。音数が減り、穏やかな終わりへと向かう予感が漂い、熱くも冷たくもない延長に身が馴染んでいく。

 

36:02 寺社仏閣の鐘の音を思わせる低いdの響きが右と左でそれぞれ一回ずつ鳴る

36:07 舞い上がるようなカン高い効果音

36:11 低いcのシンセが持続しながら存在感を増す

36:18 一瞬音が途切れたところに低めのフィードバック。d#の音

36:28 星がゆっくり落下していくような、中音域の音

36:32 d#の低音がブーストする

36:42 輪郭の薄いシンセ、a#の中音域。同時にシュワーという音が背景に聞こえる。

36:46 f→a#と移動する(何度か繰り返されたシンセが)比較的明確に鳴る。

36:47 シュワシュワーというエフェクト音が広がる。深夜の森の虫の声にも、宇宙を表わす効果音にも聞こえる。

36:51 低音のcが微かに聞こえる。

36:59 トーンが不安定に揺れるfの音

 

音の出入りも落ち着き、音が迫り上がる瞬間はあるものの長続きせず、曖昧な宙づりのまま時間が過ぎていく。(続く)

 

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(35:00~36:00)

前回はこちら

iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

沈黙、というほど音が消えたわけではないのだが、音が「何も語らない」感覚がこの時間の中にある。感情への耽溺、宗教儀式的な荘厳さ、あるいは機械的な無情の強度。エモでもニューエイジでもインダストリアルでもない。だが、無音でも無菌でもない音楽。

シンセ音が素っ気なく現れては消える。常に動いているが常に穏やかで、それは「自然」が持つリアリティを表現している。と同時に、音自体は人工的な電子音で構成されているし、人為的で古典的な「作曲」も作業工程に含まれている。この一分間の音楽は自然/人工の対立を解除し、どちらも根っこは同じであることを証明している。そのように僕には聞こえる。

 

35:00 細いfのシンセの音が持続。揺れる電子音の壁(dに聞こえる)が背後を覆っている。

35:01 シンセ音がfからa#に変わる。壁が大きくなる。背後に霧を連想させるシュワシュワした音が混じっている。

35:06 一瞬ひよこの鳴き声のような「ピヨっ」という音が聞こえる。

35:08 低音が減退し、全体の音が薄くなる。

35:10 「サーァ」という波のようなノイズが一瞬聞こえる。

35:12 dを基音とした、低音〜中音域を覆う靄のような音が膨れる。左チャンネルからは高音のdのシンセ音が揺れながら膨張を始める。

35:18 fの音。輪郭のない、風のような。

35:22 低い音のうねりが目立ち出す。dの音。

35:24 右チャンネルよりにモヤモヤしたdのシンセ。初期のエイフェックス・ツインに使われてそうなくぐもり方をしている。

35:30 アタックの強い電子音がせり出す。cとe#が聞こえる。

35:33 高音の、無造作に揺れるcの音。なんというか、人魂っぽい。

35:41 中音域のa#と低音のgが同時に響き出す。マイナー調でゴスい雰囲気。

35:45 低音の音が複数になり、膨張する時間。

35:49 左チャンネルよりに高音のa。スティールパン風の音。

35:53 fからa#へ移る細いシンセがここで反復。

35:55 少しギラギラした高音のアンビエンス音が左寄りに響き出す。

 

一つの音の音程が動くところが何回かあり、メロディを作り出しそうになるものの、メロディアスに転じる手前で消えていく。「音が感情として形成される直前の感じ」を積み重ねている音楽である気もする。寸止めアンビエンスといったところか。(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain

 

Jim O'Rouke/Sleep Like It's Winterを1分ずつ聴く(34:00~35:00)

前回はこちら
iwasonlyjoking.hatenablog.com

 

いつの間にか、繭の中にいた。少し音量が落ち着いて、アタックの強い電子音は後退し、膜のような淡い音が漏れ聞こえる。それは繭の中として思えない白さと柔らかさだ。糸が重なったかのような肌触りは優しく、この中で、心を外から閉ざして丸まっていたいと思わせる音のかたまり。外の世界が全て「暴力」に思えてしまう時に、この音は心をプロテクトしてくれる。それが自閉的なことであったとしても、知ったことではない。醜悪なものに心を抉られるのはごめんだ。冷たい柔らかさだけが、僕の望むものだ・・・!

・・・今僕は疲れているので、この繊細な音の流れに耳を寄せていると、思わずそんな気持ちに傾いてしまう。そういう効果が、この音時間の中にはある。

 

 

34:00 d#の音が左右両方から伸びる。別の音色が複数?まっすぐ伸びる音と、ジリジリいいながら響くシンセが共存しているかのように聞こえる。

34:03 高めのa#の音のシンセが少し伸びる。

34:08 左からワンワン揺れるfの音。右からは少しこもった音でa#が聞こえる。

34:11 a#の細かく揺れる(波形にしたらかなり激しく上下しているはずの)シンセの音が大きくなる。

34:14 輪郭の薄い低音が聞こえる。おそらくcの音。

34:17 左側からaの冷たい音が控えめな音量で。

34:21 キーンというフィードバックっぽい音(音程不明瞭)

34:25 左からa#の揺れるシンセが、右からは壁のような低音(d#に聞こえる)が大きくなる。

34:29 高音と低音が収まり、中音域のfのシンセが少し顔を出す。

34:33 揺れるアタックの強いシンセがd#で。音程は不明瞭(fっぽい)だが、薄い膜のような音も全体を囲うように響く。

34:34 薄い膜がしばらく持続する

34:41 甲高いフィードバック音

34:45 膜の音以外がいったん落ち着き、静寂に近づく

34:49 cの低音が少し震えながら響きだす。

34:52 ノイズ含みのd#のシンセ。薄靄のような音も同時に聞こえる。おそらく音程はg。

34:58 a#の揺れるシンセが小音量で聞こえる。

 

やはり、少しずつ静寂の比率が大きくなっている。あとおよそ10分。ここから、どのように展開していくのだろうか(続く)

 

f:id:d_j_salinger:20190210085233j:plain